在り方見たりて、

 鬼がアジトへと入って来たその時、丁度幽霊は全員が集まるフロアのソファから立ち上がったところだった。
「……あ」
「……やぁ、こんにちは」
「はい、こんにちは……幽霊……さん」
「……」
「……」
 お互いにばちりと視線がかち合い、ぎこちなく挨拶だけを交わす。僅かに視線が彷徨ったものの、特に続けられる言葉も見つからず、軽く会釈だけして鬼は自身に用意された個室へと歩みを進めた。
(……依頼の話をしている時の方が、普通に話せるなぁ……)
 カツカツと歩みを進めつつ、鬼は一つ溜め息を零す。依頼というきちんとした目的があれば、気まずさなどなく会話は続くのだけれど。――世間一般には、それを”業務連絡”と言う。

 ぱたりと個室の中に入り、また一つ息を吐く。
(難しいな……)
 鬼は、些か幽霊との距離を測りかねていた。あの時、彼が自分の父親だと知ってから、だ。


 自身を捨てた親のことは恨んでいないし、憎んでいない。そもそも、そこまで強い感情を抱いていない。そしてそれは、助け出されたことに対しても同様。
 マホロバに乗り込む前日、幽霊との個人面談で聞かれた際に答えた内容は事実であるし、それは今も殆ど変わらない。両親について把握した今となっても、黒川恵那のことも、幽霊のことも恨むつもりは毛頭なかった。
 孤児院である教会で育っていた頃から、鬼は……唯吹はずっとそう思っていたのだ。

 捨てられた理由も経緯も、知らなかった。けれど、ニュースで時折見聞きするような理由で――つまり経済的に困窮していたからだとか――自分が捨てられたのだとすれば、それによって親が不幸を背負わないのであれば、まぁいいかとあっさり納得がいった。孤児院での暮らしは、つつましくも楽しく幸福で。それ故にそう思うことが出来たのだろうけれど。
 ただそれは、きっと親の記憶すらない頃に捨てられていた唯吹だからこそ思えていたことなのだろう、ということも分かっていた。覚えているが故に、捨てた親に複雑な感情を抱く子も孤児院にはそれなりにいたからだ。唯吹とて、恨む気持ちそのものに寄り添うことはできずとも、空いた穴の感覚自体は分からないでもなかったので。

 だから、唯吹も穴をぼんやりと認識しつつも成長し、やがて高校を卒業した。進学は特に考えていなかったのもあり、そのまま近くにある工場に勤めたのは、どこかで教会への名残惜しさだとか離れがたさがあったからだろう。
 だが、
 よくよく考えてみれば、予兆はあったかもしれない。時折見かけていた他の客の風体だとか、こちらに向く視線だとか。けれど、あの時の唯吹はそれに気付くことなく。我に返った時には、血濡れた日本刀を片手に持ったまま、血だまりの真ん中に佇んでいた。
 その瞬間の記憶に乏しかったのが、現実味を失わせていたのか。覚えのない罪状まで告げられた上で課せられた罰に、驚くほど怒りも嘆きもないまま、自分は死刑を待っていた。待っていて――ある日、また転機が訪れた。
 刑執行の日まで呼ばれる筈がないのに、呼び出され。職員は妙に恐縮した様子で唯吹をどこかへと連れていき、立ち去ってしまった。そして少し経った頃、そこで幽霊と出会ったのだ。
 少しぼんやりとした様子の唯吹を、幽霊は観察していたように思う。
『助けさせてもらったよ』
『……そうなんですか』
 その時も唯吹の中に、強い感情はなかった。助けられて殊更に嬉しいわけでもなく、何故助けたと殊更に怒りを抱くわけでもなく。淡々と「この人に助けられたんだなぁ」と思いながら、幽霊に連れられるまま卓組に加わったのだった。そして、荒事担当が丁度いないということで、唯吹は”鬼”のコードネームをもらって、そのポジションに収まった。


 そして、状況が変わったのが少し前のこと。幽霊たちが昔ちょっかいをかけた会社ときっちり関係を断つために、乗り込んだ先で。天使の出自が分かったり、狼の昔の知り合いが現れたりと色々とあったけれど。
 その過程で自身の母親に一目会えたことに、それで満足してしまった。会えたことも、そこでお別れが出来たことも、十二分に。その上で、鬼は些か気まずいのだ。父親を「先輩」だなんて呼んでいたことが。狼も魔女も幽霊も、当然自分より年上だろうなと思ってはいたものの、まさか幽霊と狼があそこまで年齢が近いとは想像もしていなかった。
 それに、今更父親らしく扱われても、幽霊も困るだろう。幽霊から今までそれらしい素振りが出なかったのは、きっと知らせるつもりがそこまでなかったからなのだろうし。自分としても、突然現れた父親というものにどう接するべきかだなんて分からないし。
 恨んでいないし憎んでもいない以上、辛く冷たく当たるというのも気が引ける。むしろ、鬼も読んだ遺書なんてものを託したからか、魔女からは当たりというか扱いが雑になっているのを見ていると、それに便乗するようで申し訳ないし。……そこで幽霊を庇ってあげよう、となるわけでもない辺り、些か自分は薄情なのかもしれない。

 とはいえ、自分ももう3年はこの組織に属しているからだろうか。
(……まぁ、その内何とかなるかな)
 存外楽観的な思考で以て、鬼はそう結論付けた。また何か起これば、意外とスムーズに話せるようになるかもしれないし。そんな日が来るのをぼんやりと夢想しつつ、鬼は手持ちの武器の手入れを始めた。

唯吹は幽霊に対して恨み憎しみが全く無いので、やんわりとした気まずさだけを抱え続けている。