mimicry

 モッズコートを着た男が、「失礼しまーす」と告げながら入室してくる。既にソファに腰かけていた男は、緩い入室態度を注意することなく、自身の正面を顎でしゃくる。男もまたそれを気に留めた様子もなく、指示通りソファへと己の身体を沈めた。
「”次”のユニットの時の”君”だ」
「はいはーい」
 ついでパサリとテーブルに置かれた資料を、男は手に取りさっと目を通した。既に幾度となく行ってきたことであるので、今更戸惑うことはない。
「一ノ瀬、三好、四宮……あぁ、なるほど。他のメンバーの苗字が数字だから、そこに合わせる感じですか」
「そうだ。というわけで、『n0mbers』の”二瓶 幸人”。いつも通り、メンバーの監視をしていくように」
「了解です」
「準備は一日で足りるな?」
「ん、大丈夫です。今回はメンカラのエクステ付けて……ちょっと髪切ります」
「そうか。ビジュアルが固まったら、写真を頼む」
「はい」
 資料を四つ折りにしてポケットへとしまい込んだモッズコートの男は、ソファから立ち上がると「それじゃ、失礼しました」とあっさりと退室していった。

 男は自室に戻ると、改めて資料を机へと置いた。それを視界に入れつつ、自身の口でも読み上げる。
「一ノ瀬 壮真。メンカラ赤。誰とでも仲良くしているが、特に四宮と仲が良い。あ、いや、付き合いが長いのか。なるほどね。で、今回のオレのシンメ相手」
 身に着けていたモッズコートをクローゼットに掛けた男は、続いて隣にある大きなウォークインクローゼットを開いた。――ウォークインクローゼットの中には、多種多様なカラーリングの服が掛けられ、丁寧に畳まれ並べられている。そこにあるのは全て、あくまでも”ステージ衣装”ではなく私服ではあるが、この場所だけを見れば、一体何人分の服が収められているのだろうか、と思うほど色味はちぐはぐであった。
「二瓶 幸人。メンカラ青。最年長でクール系……なるほどね。一ノ瀬とはシンメ。てなると、人懐っこい一ノ瀬を”犬”に見立てりゃ、こっちが”猫”かな。落ち着いた雰囲気、ちょっと近寄りがたいとかもアリか」
 男は紺色のベストや青みがかった小物を手にとっては、後ろへと積んでいく。”今回”のアイドルを生み出すための小道具の選定だった。

 男は、iDol Never diE――通称アイネバの運営スタッフである。しかしながら、男が運営スタッフであることを知る者は非常に少ない。それは、彼がアイドル候補生としてユニットに入り込み、プロジェクト運営にあたって都合の悪い候補生をいち早く《処分》するためにいる、いわゆるスパイ・内通者と呼ばれる存在であるからだった。
 そういったわけで、男はユニットに所属するたびに名を変え、見目を変え、色々な候補生たちの監視を行っていた。途中で処分対象が見つかれば、処分をした上で報告をし、何ら問題なく活動が続きそうな場合は『リタイア』を装って姿を消す。
 そうして渡り歩いたユニットは数多く。装ったアイドルの姿もいずれ星の数……というと流石に言い過ぎだろうか。
「三好 遥。メンカラ黄色。おっとりとした気質で、他候補生とトラブルを起こしたなどという話もなし。四宮とシンメ予定」
 故に、男の自宅には到底一人分とは思えないほどの、服や私物が収められている。勿論、これらは経費で落ちるものであるし、ユニットとして活動を開始すれば、そちらで購入し物を増やすようにしていた。とはいえ、メンバーカラーが最初から定義されている以上、その色味のものを持っている方が悪目立ちをしない。経験則からそれを知っている男は、ユニットとして映える位置に己を置けるように、ありとあらゆるものを弄っていく。一人称や口調でさえも。
「四宮 圭吾。メンカラ緑。しっかり者でまとめ役。面倒見も悪くない。三好とシンメ予定。なるほどねぇ、おっとりのんびりと、しっかりまとめ役。対でバランスがいい。となると、クール系とはいえツンケンしにいくのは微妙かな。下手すりゃ、宥め役に三好か四宮が動きかねない。4人ユニットなら、2対2でいる方が客ウケがいいし。一人称は……『僕』にしとくか。他3人がこのビジュアルなら、眼鏡付けない方でいくかぁ」
 他メンバーのデータを咀嚼しつつ、男は”二瓶幸人”を作り上げていく。灰色のキャリーケースに、二瓶幸人として持ち込む私物や服を入れていきながら、男は掛けていた眼鏡を外し、スマートフォンで馴染みの美容室の電話番号を呼び出した。
「……あ、もしもし。――――ですが、はい、予約を。カットと、今度はエクステをちょっと付けてみようかな、と思っていて。それについても相談いいですか? じゃあ、今日の夕方からで、予約お願いします」
 あっさりと取れた予約に安堵しつつ、男は玄関へと向かう。その途中にある全身鏡の前で男は立ち止まると、一つだけ息を吐いた。
「……予行演習」
 男は一度、目を閉じる。
(クール系……あんまり笑わない、猫っぽさ)
 脳裏にイメージを作り上げ、口角を努めて下げると、男は鏡の前で名乗り上げた。
「……僕は二瓶 幸人。この中だと、一番年上になるのか。全員、宜しく」
 数秒鏡の中の己と見つめ合った男は、「ま、ひとまずこんなもんかぁ」と頷くと改めて美容院に向かうために、自室を出たのだった。

"誰か"であり、"誰でもない"彼の話。変幻自在にどこにでも入り込むのっていいよね……。