「ミツさんってさぁ、煙草吸うの?」
早朝、人気のない公園のベンチで隣に座る涼からそう問われた間は、口を付けていたココアの缶を離しつつ答えを返した。
「んー、基本吸わないかなぁ。体質的に吸えないってわけでもないから、付き合わされたらってくらい。……でも、どうして?」
間が問い返すと、涼は楽しげに笑いながらポケットから煙草とライターを取り出してみせる。間のイメージからすれば、涼もまた煙草を吸うタイプではないように思えていたが、この様子だと時折煙を食んでみせるということなのだろう。ライターの中でちゃぷりと揺れるものを視線で追い、間は涼に話の先を促す。
「俺は、たまーにね」
「成人してるんだから、僕だって咎めたりしないよ」
「エチケットエチケット」
「なるほどねぇ。どうぞ」
「やったー」
間が柔らかく許可を出せば、涼が煙草を一本取り出し火を付ける。ふわりと、間の鼻に届いたのは少し甘めのそれだ。
(涼くんの雰囲気には合うなぁ)
そんなことを考えつつ、間は缶の中身を全て飲み干しベンチへと一旦置く。間の隣でゆるく煙を吐いた涼は、煙草の火は消さないままに間の方を向く。
「で、さ」
「うん?」
「俺がこれ吸ってるの、シンイチローさんも知ってるんだよねぇ」
「……なるほど」
「伝言されてくれる?」
「どうぞ~」
間の返答に満足げな笑みを浮かべた涼は、また一つ煙草を口にし息を吸った後。ずいと己の身体を寄せ、間のスーツへとかかるように、ふわりと煙を吐き出した。間は口の周りだけ煙を手ではたき、噎せ込まないようにしてみせる。この後、間が真野へと報告に上がることを分かった上での、「伝言」というわけだ。真野は間が入室した瞬間に嫌そうな表情を浮かべるだろうが、間としてはそこは流石に諦めていただきたいところである。
「ミツさんは、全然気にしない感じ?」
「まぁ、別に……。警察署も喫煙場所決まってるだけだから、煙草のニオイくらいはね」
「あはは、そういうことじゃないけど、いいや」
「えぇ?」
ケラケラと笑い出した涼に、間は不思議そうにしつつもベンチから立ち上がった。そろそろ警察署へと戻る時間だ。ココアの缶はゴミ箱に捨てるために拾いつつ、涼へと手を振ると間はするりとその場を後にした。涼は「それじゃ~」と手を振り、間が離れたのを確認すると携帯灰皿に煙草の吸い殻を放り込んだ。パチリ、と携帯灰皿の蓋を閉めつつ涼は笑い声を零す。
「さーて、どういう『伝言』だと思われるんだろ」
◆
「……!」
――大貫は一瞬、知らない人間が入室してきたのだと思った。それほどまでに、馴染みのない臭いだった。勢いよく振り向いた大貫の動きに驚いたのか、間が目を丸くしている。
「え、なに、どうしたの? 大貫くん」
「……間、君か」
「そうだよ。何? 幽霊だとでも思った?」
機嫌良さげな笑いを零しつつ大貫の隣のデスクへと座る間に、大貫は自身の眉が寄っている自覚を持ちつつ「そんなわけないだろう」と返してみせる。いやに大貫の鼻につく臭いは、間からしている。……どう考えても、煙草の臭いに違いなかった。
(間はほぼ煙草を吸わない。それに、そもそも吸っていてもここまで臭いなんて残らない)
うっかりタイプミスした文書を直しながら、大貫は間の様子を横目でちらりと見やる。間の様子は平常通りのそれに見えた。煙草の臭いがここまで強烈に残るほどに間が吸うようなことが、仮にあるとすれば、それこそ大貫は気が付く筈なのに。
(――気に入らない)
間を上書きするかのように、べったりと付けられた煙草の臭いが。大貫の何かを逆撫でしている。また一つ起こした変換ミスを訂正した大貫は、僅かに詰めていた息を吐き出した。その上で間に、ぼそりと告げる。
「……ニオイ」
「うん?」
「煙草の臭いが凄いぞ、君」
「うわ、そんなに? ……思ったより残るもんだなぁ」
間が零した言葉に、大貫はまた何かが逆撫でされるような気持ちになりながら「消臭スプレーでもかけようか?」と告げる。
「人体にかけちゃ駄目だよ、大貫くん」
「仕方がないだろう? 相当だよ、今の君」
「大貫くんがそこまで言うレベルで?」
大貫が重ねて告げれば、間は首を傾げつつも己のスーツへと鼻を寄せ、すんすんと嗅いでいる。
(間はそこまでそれに慣れているのか? ……私は一度も、そんな臭い、嗅いだことが無いのに?)
大貫はそう考えながらも、それを間に問うことは出来ないまま、小さく溜め息を付いた。
匂いに敏感ではあるけれど、間くんは涼くんの煙草の匂いにもう慣れており、大貫くんは慣れていないためめちゃくちゃ嫌な顔をする。