いつかどこかの君を

 ――早朝の路地裏。捜査一課の目から逃れるようにして、尾北班の面々と共に身を潜めた間は、緩やかに思考を巡らせた。

(これ、どうしよっかな~……)
 そっと、盗み出した尾北班の銃の内、横流ししなかった大貫の銃の感触を確認しつつ考えるのは、「どうやって終わりの幕を引こうか」であって、「どうやって己の罪を誤魔化そうか」といったものではなかったのだが。
「……といってもなぁ、僕は何もないんですけど」
 そう刈野が口火を切り、「この中にいるであろう尾北花音を襲撃した人物」を探すための議論が始まった矢先。間の脳裏に、何かの光景がちらつく。

『……記憶の齟齬がある』『何もない中で、貴方は何を思いますか?』『僕目線、三人とも疑ってますよ』

(……?)
 間は、目の前で話す大貫たちの会話を聞きながら、内心で首を捻った。誰の口からも聞いたことなどない。そもそも、尾北班の四名に疑いが掛けられるような事態は今の今まで発生したことなどない。この今朝のそれが初めてである筈なのに。間は一瞬、「以前にもこんなことがあったな」と思うなどしたのだ。

『刈野を信じている俺を疑っている』『間さん、本当に花音さんと浮気してたんじゃ』

(いや、そっちに気を取られてる場合じゃないんだけど)
「……ただそれがぁ、たまたま大貫くんの銃だった可能性はあるのかな」
 凶器でもある大貫の銃の話になったことで、大貫を庇うために言葉を差し出しつつ、間は脳裏にちらつく光景を追う。それは何かしらの糸口になるだろうか。もしくは、間の根底にうっすらと積もる「つまらないなぁ」という感情を払拭してしまうような何かに。そう考えていた矢先。

『私は信以さんが花音を殺したなんて思いたくないよ』

 ……静謐な声が聞こえた。感情の揺らぎの薄い、静かな声。
(大貫くん?)
 間の意識がそちら側にゆるりと傾く。ひどく、静かな声だった。淡い記憶、ここでは起きていない出来事。そこではそれこそ、尾北の二重人格が判明しないまま、花音が殺されたかのようで。湿度を含んだ空気を塗り固めたようなその中で、大貫の声はあまりにも「穏やかすぎる」気がした。
 今目の前で行われている議論とは違う、そのどこかで起きたかもしれない何かで。きっと大貫は恐ろしいほどの静謐と断絶の中で、それを告げているような気がした。そして、それは今この場でも同じようになってしまうのではないだろうか、という考えが間によぎる。

(ねぇ、大貫くん。君はきちんと怒ることは出来る?)


 ――だから。だからこそ。

「……おい、間。お前、昨日夜に何してた?」
 そうして間へと詰め寄ってくる大貫を見ながら、間は吊り上がりかけた口の端をどうにか隠すことに成功した。
(……怒ってる! 大貫くん僕に、怒ってる)
 怒りのせいでちらちらと燃え盛るようにしている瞳から、僅かに視線を逸らしながら、間は気分が浮上してきたのを実感していた。
 刈野からも怪しまれた間が、随分と気恥ずかしさを抑え込みつつ潜入がバレたことを告げた、その反応の時点で「おや?」と思いはしたのだ。あまりにも当初の大貫が落ち着いていたように見えただけに、やはり"そう"なのだろうか、と間が思っていた矢先。大貫から間へと向けられたそれは、間違いなく「怒り」に違いなかった。
(大貫くん怒れるんだ。良かった、それなら安心だ)
 だとしたら、大貫はきっと、"あぁ"はならない。そのことへの確信を得て、間は笑う。そのことで大貫の怒りを助長すると知って、なお笑う。
 大貫が怒ることが出来るのであれば、間がそう心配などすることはないだろう。怒りならば、きっと誰かに愚痴を零せば鎮火する。それこそ、愚痴を零すにふさわしい相手が大貫にはいるのだから。間の立ち位置は、そういう意味でも丁度いいに違いなかった。


「ふふふふふ」
 間が機嫌良く笑えば笑うほど、大貫の怒りには間違いなく油が注がれている。そのことを確認しながら、間の心からは完全に「つまらなさ」が消えていたのだった。

616の記憶がオーバーラップした間くんは、大貫くんが怒れるのを見て「そうやって感情が出せるなら、抱え込んで苦しむことはなくて安心だな」と思うのでした。