――昼下がりの、リビングだった。
白いカーテンが室内に向かってふわりと浮き上がり、揺れている。そのカーテンの動きを、大貫の真下にいる間が視線で追っているのを認識しながら、大貫はそっと間の首へと力をかけた。ひたりと触れた首元は、滑らかでひんやりとしている。大貫は、そこに少しばかり体重をかけた。
間の瞳の動きが止まる。それでも、間の瞳にカーテンの動きだけがちらちらと映り込んでいた。白い影は、掴みどころのない間を表しているようだった。それがどうにも好ましくない。手をすり抜けるのは、許されざる状態に違いなかったからだ。大貫の手の下で、間の身体は動く気配を見せない。
カーテンが揺れている。そして。
パチリ。覚醒。
「……夢か」
――街灯が瞬く、夜更けの路地裏だった。
切れかけの街灯がちかちかと瞬いては、ビルとビルの隙間の路地を時折ちらちらと照らしている。そうして街灯が照らした一瞬だけ、ちらりと間の表情が映るものだから、大貫は少しだけ眉をしかめた。どこぞのビルの壁に押し付けられた間は、大貫を見て緩く笑う。
そのことに、どうにも心を乱されて、大貫は間の首元へと手を伸ばした。ひたりと触れた首元、汗すら浮かばないそこは夜の空気と同化したように、低い温度のままさらけ出されている。
夜の路地裏に良い思い出はない。話し合い、隠し事、激昂、迷い。そして向けられる銃口の黒さは、路地に揺蕩う闇と同じだろう。そこに間が勝手に溶け込むことを、大貫は絶対に許さないし、許すつもりもない。せめてそれは、大貫の管理下で行われるべきだ。だって、当然ながらそうであるべきだろう?
街灯がまた一度、明るく灯った。そして。
パチリ。覚醒。
「……夢か」
――夕日が照らし出す、車の中だった。
リクライニングで倒された助手席に、シートベルトを外した間が寝転がっている。いつぞやに見たスーツがシワになるのも気に留めた様子はない。
慣れたような手付きで、大貫は間の喉元に触れる。間が唾を飲み込んだのか、喉仏が少しだけ揺れた。間が口を開くよりも先に、大貫は言葉を止めるために、自身の掌に力を込めた。間が開きかけた口は、言葉を零さないままに止まる。何かを言いかけたとしても、大貫はそれを聞きたくはないのだ。だって、どうせお前は私の言うことなんて聞きもしないのに。どうして私だけがお前の言う言葉を、聞く必要があるというんだ。……相も変わらず、大貫の手の下の首元は少しだけ温度が薄い。
どこか遠くでクラクションの音。そして。
パチリ。覚醒。
「……夢か」
――まだ室内に夜の気配が残る、朝が忍び寄ろうとしつつある、仮眠室だった。
すぅ、と仮眠室のベッドで眠る間の胸が上下している。それを見下ろしていた大貫は、そっと間の首元へと己の手を這わせた。ひたり、と触れた首元は大貫の手よりは幾ばくか温かい。そう、まだ温かい。だから動いてしまう。……大貫の、望まないような所へと。だとしたら。
ぐ、と掌に少しだけ力を込めれば、大貫の手の下で間の身体が少しばかり強ばるような動きをみせた。また少し力を込める。そうして、体重をかけるような仕草でもって、間に触れて触れて触れて。……覚醒の気配はない。そのことに、大貫の脳裏にちらりと疑念が過ぎった。いつもであれば。
(いつもであれば?)
もう目を開いている筈だ。誰が? 大貫が、だ。
時に、夢の中でも自身がどう動いているかを知覚するのは、明晰夢である。自覚した上で手を伸ばしていたからこそ、大貫は、手の下の"温もり"の温度が上がっていることに気が付いた。
(待て、これは)
ふと、大貫は嫌な予感がした。これは"違う"。そして、その手を離した後すぐさま。ぱちりと、大貫の下にいた間の瞳が開かれた。すぐさま身体を横に向け背を丸めるようにして。
「……っ、ゲホ、!」
鈍く咳き込む音。その後も断続的に咳き込んで、間は自身の喉元に触れている。間が仮眠室のベッドの上で、咳き込んでいる。……そう、咳き込んでいる。
(咳き込んでいる?)
朝焼けのカーテンを見ていた間は、咳き込んだだろうか。否。
夜更けの路地裏の間は、咳き込んだだろうか。否。
夕焼けの車内で間は咳き込んだだろうか。否。
普通。首を絞められたら、人は酸素が取り入れられず、呼吸が止まって、苦しくなって。そうして。解放されたら、慌てて酸素を取り込もうと身体が動くだろう。生理的な、反射的な動きでもってそうするのだ。生きているのであれば、普通そうするだろう。たとえ死ぬ気があろうとなかろうと。人間の身体はそういう風に出来ているし、そう動く筈なのだ。……夢の中とは、違って。
ひゅ、と大貫が息を呑む。気が付いた。これは。
(……これは、)
ゴホリとまた咳き込んだ間が、小さく笑い声を上げた。間の瞳には、うっすらと涙の膜が張っている。故に、常より水分の僅かに多い、風でさざ波だった湖面のような瞳をした間が、大貫の表情を見て笑う。
(……これは)
「……やっぱり、大貫くんだって」
「殺したら永遠だって、分かってるじゃない」
(夢じゃない)
脳裏にあったのは「炉心融解」でした。