波打ち際を、ふらふらと間は歩いていた。革靴と靴下だけは脱いだものの、スラックスはまくっていないため、打ち寄せる波によって下の方はじっとりと海水で色を変えている。パシャリと時たま立つ音に、機嫌よさげに鼻歌を歌っていた間はくるりと後ろを振り返り、緩く口の端を上げながら声を掛けた。
「大貫くん、そこにずっと立ってるつもり?」
「……むしろ君が海岸線を歩いている方が、不思議なんだけれどね?」
車に凭れるようにして間を眺めていた大貫は、溜め息を付きながらそう告げる。
――時刻は午前五時前。うっすらと日が出つつある海へと、大貫と間は訪れていた。
「意外と海って、行く機会がないじゃない」
「それとこれとの関連性がないんだが?」
「海水、結構冷たいよ?」
「会話のキャッチボールをしてくれるかな、間」
「ストライク!」
「ボウリングじゃなくて。ピンを薙ぎ倒さないでくれ」
波の音しかしない海辺であるが故に、波打ち際にいる間と車の傍にいる大貫の会話は、そこまで声を張り上げずともスムーズにかわされている。間は波がさらうことのない砂浜上に置いた革靴と靴下へ視線を向けた後、自身が着ていたジャケットのボタンを外した。そのままジャケットを脱ぎ手元で丸めると、間は砂浜へと放る。緩く転がったジャケットは、あっという間に白い砂まみれになり、見ていた大貫が少しばかり眉をひそめたのが間からも確認できた。
(別に僕のスーツなんだし、気にしなくていいのに)
間はそう考えながらまた少し海水でスラックスが湿ったのを眺めていたが、そもそもここまでは大貫の車で来ているので、車内に砂を持ち込みたくなかったが故の大貫の顰め面だとは、間は考えなかった。
「~~♪~~♪」
適当に耳に覚えのある歌をうろ覚えで口ずさみつつ、間は足を沖の方へと少しばかり向ける。そうすれば当然、ザブリ、と勢いよく間のスラックスが膝元まで海面の中に沈んだ。
「間!」
流石に見咎めたらしい大貫の声が響いたが、間は意図的に無視をする。そのまま少しだけ身体を屈め、両手で海水を掬っては海面へと散らして遊んでいると、間の後ろで砂を踏む音が聞こえた。
「君、子供じゃないんだから……」
「えいっ」
「…………間」
大貫の口から注意が飛び出しかけたところで、間が大貫の横へと掬った海水をぶちまける。流石に真正面から水をかけなかったのは、間なりの気遣いだ。もしも間がそれを口にしていた場合、大貫は「それのどこが気遣いなんだ……」とぼやいていたことだろうが。
ジャケットは車の中に置いてきたらしい大貫は、頭の痛そうな表情のまま間を見つめていたが、間が未だ戻る様子を見せないことを理解すると、大きく溜め息を付く。そして、先ほどの間と同じように革靴を脱ぎ、靴下を脱いで革靴の中へと入れた。ただし、間とは違い大貫はスラックスを膝元まで曲げてから、ぱしゃりと海へと足を踏み入れる。
「ほら~」
「何が『ほら~』なんだ。それ、戻り次第、必ずクリーニングに出すべきだよ」
「まぁまぁ。……あ、大貫くん何か着替えある?」
「濡れ鼠になるつもりなのか? ……いや、残念ながら着替えはあるけれども」
「やったー」
大貫の返答に、間が楽し気に笑みを零す。
「そういえば、深海だと赤色は見えにくいって聞いたことあるけど」
「あぁ、そういえばそうらしいね」
「つまり、大貫くんが沈んだら見づらいわけだ」
「どういう理屈だい」
「その時は僕が見つけるから安心してね、大貫くん」
「間、頼むから私が追いつけるテンポで話を展開してもらえるかな?」
パシャパシャと足で海面に波を立てつつ二人が会話を交わしていると、空が白み始めた。海面にも日の光が反射し、大貫と間の視界をちらちらと白く染める。そのタイミングで、間は大貫の手を取ると、ぐ、と引っ張り。二人揃って海中へと身体を投げ出した。
海中に白々と泡が広がる。こぽりこぽりと酸素を吐き出しながら、間は大貫の方を見やった。大貫もまた、間へと視線を向けている。ふわり、とネクタイが海中を魚のように漂っているのが視界に映っていた。
(流石に浅瀬じゃ、赤は見えるなぁ)
大貫の瞳を見た間は、そんなことを考えながら握ったままの大貫の手を離さずに、今度は海面へと上がるように導く。
「ぷは、」
「もはや着衣水泳訓練じゃないか、これ」
「確かに。スーツはやっぱり重いなぁ」
二人はそんなことを話しながら海から上がると、砂浜に置き去りにしていた各々の靴を回収に向かったのだった。
たとえ海に沈んだら見えにくい赤色だとしても、きちんと見つけに行って一人にしないし、ちゃんと水面まで引き上げるよ。