大貫は、署内で久しく見かけなかった同期の後ろ姿を見かけた瞬間、迷うことなく相手の名を呼ばわった。
「間!」
大貫の声は思ったよりも廊下へと反響したが、署の中でも奥にあるこの場所ではそれを咎める者はいない。ぴたり、と呼びかけられた相手の歩みが止まり、大貫の方を振り返る。大きめの紙袋を手に持った間は、呼んだのが大貫であることを改めて確認すると、ゆるりと口の端を吊り上げた。
「大貫くんってば、こんなところで声張り上げてどうしたの」
「どうしたもこうしたも、お前の姿が最近ないから、また何かをしてるんじゃないかって」
カツカツと間との距離を詰めながら大貫が告げれば、間が瞳に楽しそうな色を乗せていく。
「まさかぁ。こってり絞られたし、始末書も山ほど書かされたから、もうあんなことはしないよぉ。……ひとまずは」
間が尾北の裏の人格を唆し、花音を襲撃させた事件から既に一年以上が経過していた。諸々の処分が下った後も尾北班は存続しているが、間は別班での活動が多くなっており、大貫が今日間の姿を見かけたのも数か月ぶりのことだった。
「……へぇ。その割には、こちらに顔を出していなかったようだが?」
「暫くそっちに顔出してなかったのは、別件だよ。慣れないことだし、ちょっとバタバタしてて」
「別件……? それは、」
さらに間との距離を詰めた大貫は、はたと気が付いた。最後に見かけた時と、間の姿は変わっていない。柔らかそうな髪質も、大貫の激情を見ると楽しそうに細められる瞳も、よほど真面目な場以外では少しばかり緩く着崩されるスーツも。
けれど。ただ一つ、大きな変化があった。
――間の左手薬指に銀色の指輪が嵌まっている。
「……間、君」
呆然とした表情の大貫に、悪戯に成功したような顔で間が笑う。機嫌よさげに、間の喉の奥から笑い声が漏れていた。間はそのまま至極楽しげに、ひらひらと左手を振る。シンプルな指輪は、つい最近作られたのか、艷やかな光沢を持ち蛍光灯の明かりをきらきらと反射していた。
「ふふふふ、実は結婚したんだぁ」
「……だ、れとだ」
「内緒♡」
「っ、」
大貫の反応に、間が恍惚を滲ませる。かつてのあの時と同じような、間が遠く離れたような感覚が、大貫を襲う。大貫は思わず、自身の左手に触れた。大貫の左手薬指にも、指輪は嵌まっている。……花音との結婚指輪だ。
「大貫くん、お揃いだね?」
楽し気に笑う間は、きっと酔狂で指輪を付けているわけではないだろう。本当に、結婚したが故に付けているのだ。銀色に輝く、指輪を。……大貫が一切知ることのない、どこぞの誰かとお揃いで。
(……"取られた")
ぞろりと腹の底で何かがのたうつような感覚。これだけ大貫に視線を、感情を向けているくせに、間は大貫の手からすり抜けるように別の場所へとその身を置こうとしているのだ。
だが、それは法的に何ら問題のない婚姻行為だと、同時に大貫の頭は理解していた。詐欺でもなければ、虚偽でもなく、成人同士の当人の合意があれば出来る行為に。大貫が、口を挟むことなど叶わない。法律の枷なのだ。大貫の感情がどれだけ、「それは不当だ」と感じるとしても。問題なく受理された手続きを覆すだけの理屈を、大貫は持ちはしない。故に、大貫はその手続きを白紙に返すことなど叶わない。
それを間も分かっているのか、さらに喜びの滲んだ声で、言葉を紡ぐ。
「ふふふ、大貫くんは真面目だもんなぁ」
「……お前は」
「だから僕、大貫くんのこと、だーい好き♡」
ふふふ、とまた笑い声を漏らした間が、下から覗き込むようにして大貫へと言葉を手向けてくる。
「お互い妻帯者だし、頑張ろうね?」
その間の台詞に、大貫は何も返せない。反応のない大貫に、間はまた少し口の端を吊り上げる。
「……あぁ、そうだ。忘れてた」
思い出したように、間が紙袋へと手を突っ込みガサガサと何かを取り出そうとする。その動きを止めることなく、大貫はじっと間を見つめていた。「ど、れ、に……」と小さく呟きながら何かを選んでいた間は、一つこれと決めたのか、小さな箱を取り出す。
「色々事情があって結婚式は開かないから、引き出物だけ渡して回ってるんだよね」
間が取り出した綺麗な白い箱の上部は、中に入っているものが分かりやすいように透明なフィルムで窓のようなものが作られている。
「…………、」
中に入っているのは、綺麗な焼き色のついたバウムクーヘンだ。引き出物には、それなりに定番の商品であるそれを、間は大貫へと押し出した。大貫は、どろりと漏れかけた感情に蓋をしようと試みながら、箱を受け取る。
「……花音さんと一緒にどうぞ?」
そうして笑う間はやはり、大貫のことを楽しそうに見つめるだけだった。
片方にバウムクーヘンエンドを迎えさせたら、もう片方に迎えさせる必要があるんじゃ。
Iであり愛であり哀でありeyeであり間です。