知らない振りには無理があろうに

「ここの羊羹、また季節の新作が出たんだよねぇ」
「……なるほど」
 真野が間を呼びつける時、セックスなど一切せずに普通に真野が購入してきた甘味を共に食べるだけ、ということが稀にある。真野は無類の甘味好きであるから、買ってくるものも大概趣味がいい。少なくとも、甘味は割合好きな間が今までご相伴に預かった限りで、口に合わないと思ったことは一度たりともなかった。
 ……だが。間としては、セックスの絡まないこの時間が、いっとう苦手である。何故かというと。

 羊羹を和菓子切りで切り分けていた真野が、朗らかに話を切り出す。
「そういえば、大貫クンとこの間お昼が一緒になったんだけどさ」
「……、」
 間は、反射的に自身の眉が寄ったことを自覚した。どうにか意識的に戻すが、正面に座っている真野が気が付かないわけがない。
「……この話、止めようか?」
 にこりと微笑んだ真野の表情から、間が真意を読み取ることは出来ない。少なくともこれが職務であれば、真野はもう少し間にも意図を読ませてくれるのだが、今の会話はプライベートなものに近いため、綺麗に覆い隠されているのだ。
(なんで? 大貫くんそんな話、しなかった……聞きたくない、知りたい、大貫くんは、なんで)
 間の中で、ぐるりとうごめく感情がある。それが何なのか、未だに判別が付かない。間の目の前で、小さく切り分けた羊羹を口に運ぶ真野は満足そうだ。もう少しだけは返答を待ってくれるだろう。だが、間が何も答えなければ、話は普通に流れる筈だった。羊羹を切り分ける手が止まった間は、はくりと口を動かした後、少しだけ震える声で告げる。いつだって、間はぐちゃぐちゃと心がかき乱されるような思いをしながら、一つの返答しか出来ない。
「……いえ、そのお話、聞かせてください」
 真野は、こうして間と菓子を食べるときにだけ。大貫の話をするのだ。

 にこり、とまた微笑んだ真野が口を開く。
「じゃあ、続けるねー?」
「……は、い」
 間は真野の話す大貫の話を聞きながら、羊羹を少しずつ口へと運ぶ。しつこすぎない甘さは、確かに値段相応の美味しい代物だ。それをこんな気持ちで口にしているのは、羊羹に申し訳ない気がしないでもなかったが。
(それ、初めて聞いた。この間って、僕が刈野と動いてた時じゃん。そんな話しなかったじゃん。なんで?)
 ぐるぐると間の頭に疑問が埋め尽くされていく。そうしながらも、間は真野の話に相槌だけをどうにか返していた。真野が敢えて大貫の話を間にする理由はわからない。わからないがしかし、間は聞けば聞くほど心が無遠慮に引っ掻き回されるような心地にならざるを得ない。
 真野は好きな上司の一人である。采配は上手いし、間の使い方も上手い。時折連れ込まれるセックスも、間からすれば心地良い。その立場上、真野が間一人を見ることはないが、それでも必要とされている内は「見てもらえるのだ」という安堵は確かに存在していた。
 そして大貫は、真面目で、信頼できる同期で、見ていて面白くて、好きなのだ。間を「見る」その目が綺麗で、間はずっと見ていたくなる。花音と共にいる時の姿も、見ていて楽しいことこの上ない。
 ……だからこそ。真野が大貫を見ることが。大貫が真野を見ることが。間からすれば、耐えられない。
(だって、そうしたら……そうしたら、)
 そして、いつだって間の思考はそこで止まる。頭の中に浮かぶありとあらゆる理由が、どれも上手く当てはまらないからだった。

 間が考え込んでいる合間にも、いくつか話は切り替わっていた。そのどれもが間の知らない大貫のことだ。それが、ざらりと間の何かを逆撫でする。すると。
「それで大貫クンはね……」
 真野の言葉が途中で途切れた。そして、羊羹の最後の一切れを口に運ぶと、お茶を口にし、こう告げる。
「この続きはまた今度にしようか」
「……ぁ、」
 ブツリと断ち切られた話に、間の頭の中がまたぐしゃりと揺れる。
(その続きは何? どうして、なんで、なんで、)
 間は、真野の口から大貫の話など聞きたくない筈なのだ。だが、聞けるのであれば全て聞いてしまいたい。だから、途中でそれを遮られてしまうのは、あまりにも嫌だ。喉の奥にわだかまるものを感じながら、それでも間はそれに否を突きつけられない。
「……さて、せっかくだし、次の仕事の話に移ろうか。また潜入してもらうことになるよ」
 真野の声が、仕事のそれへと切り替わる。真野が間を選んだということは、間であれば出来るという判断をしたということだ。間はまた、己の心の中に募るそれに蓋をし、口を開く。
「……分かりました。次は、どこへ?」
 真野が信頼出来る上司であることは、間にとっては変わりがないのだから。


(かわいいなぁ)
 はくりと口を動かしかけたものの、また真野に何も告げることが出来ずに仕事へと思考を切り替えた間を見て、真野は内心で笑う。真正面から見ていれば、間の瞳がくるくると感情を映し出していることなど、あまりに分かりやすい。真野の行動に翻弄されている、真野より年下の男。その男が自分の同期へと向ける執着は、単独であればむしろ相手を振り回すような形で表出するだろうに。そこに他者が一人でも絡んだ瞬間、この男は思考がまとめきれず乱れてしまうのだ。それは真野であっても、例外ではない。
(本当にかわいい)
 真野が大貫の話をする度に、嫌そうな泣きそうな顔をするくせして。真野が大貫の話を止めようとすれば、また泣きそうな色を浮かべるのだから。それだけの執着を向けているというのに、それを上手く自覚も処理も出来ていないのは、真野からすれば可愛らしいことこの上なかった。
 だからつい、真野は大貫を使って間にちょっかいをかけてしまうのだ。
(……まぁでも、大貫クンは大貫クンで、間クンに執着してるっぽいからなぁ。面白いなぁ)
 真野が話しかける度に、間のことを探ろうとしてくる大貫のことを思い出して、真野はまた少し笑う。似た者同士なのだから、いっそ互いにぶちまけてしまえば面白そうなのだが。

「今度潜入してほしいのは、ここだよ~」
(それはまた今度試そうかな)
 真野はそう考えつつ、間へと資料を指し示した。

間くんのこの若干のバグ、可愛いなぁと思っていたのでした。