地方においては、同じ苗字がある地域に多々いるということは珍しくない。その土地が代々その家で管理され、血縁者が周囲に暮らすという形を取るからだ。それが、周りを山に囲まれ人里離れたところに出来た集落ともなれば、尚更で。故に、その土地の出であれば、苗字を見ただけでピンとくるものはあるのだった。
間は、机の上に置かれた経歴書と写真を眺めながら、そんなことを考えていた。大貫と間を呼び寄せた尾北が、先ほど見せてきたものである。
「今度、新しく俺たちの班に入ってくる奴の資料だ」
「んー? また若いのが入ってきますね。大丈夫かなぁ、僕たち三人とも別に教育が上手いわけじゃないし」
「それなら、私たちが上手く指導できるようになればいいじゃないか」
「大貫くん真面目~」
大貫とじゃれ合いつつ、間は少しだけ目を細めた。
(へぇ……、あそこの村の。こっちに"出させてもらえた"ってことは、本家筋じゃなくて分家筋かな)
考えはしても、口には出さない。尾北も大貫も知らないことなのだ。わざわざ言う必要性はない。……そして、恐らく。あちらも間のことなど知らないだろうし。
経歴書に書かれている名は、『刈野証人』。間にとっては、嫌というほど見覚えのある苗字だった。特に悪い意味で、である。
そも。「間 光」という名は、彼が最初から生まれ持った名前ではない。否、下の名前は元々付けられたもので間違いないのだが。苗字に関しては、成人してから変更手続きをして得た苗字だ。ならば、元々はどのような名であったかというと。『刈野 光』。それが彼の元々の名であった。
――なんということはない。既に妻を持つ男が、他の女に手を出した結果生まれたのが、彼だったというだけの話だ。どこにでもよくあるような話で、そして、そう大きくない村では口さがなく罵られるようなそれだけのこと。
そんな村で、己を押し殺して十数年。どうにか外に出るチャンスを掴んだ彼は、あの村から逃げ出した。未練などない。執着などない。あまりにも身軽な逃避行だった。けれど、村の外に出たとしても彼にその姓は付き纏う。たとえ彼の事情を知らぬ者しか周りにいないとしても、呼ばれること自体が苦痛極まりなかったのだ。
それほどまでに、厭だったものだから。彼は、自身が一人で変更手続きが出来る年齢になるや否や、家庭裁判所での変更手続きをすることにしたのだった。変更に関しては、それなりに正当性が認められなければ難しい、とどこでも書かれていたので身構えていたものの、己の生い立ちをそれらしく訴えてみれば、上手いこと同情を買えたようで、変更手続きの許可は下りた。
「では、新しい苗字はどのようにされますか?」
だが、そう問われた時、はたと彼は我に返った。当然の話だった。変えたいのだから、新しいものが必要だ。この日本においては、姓名の双方が必要なのだから。彼は悩みながら考えた後。
「じゃあ……」
彼は、己の新しい苗字を『間』と名付けた。光あるところの隙間にしかきっといられないだろう自分を表すには、相応しいと思ったからだった。
(そうして離れてたものと、こんなところで出会うなんてねぇ……)
過去の記憶を思い返しながら、間は机の上を整理していた。新しい者が入るために、今まで三人が「共用机」として物置き場所に使っていた机を空けるためだ。大貫が使っていた物をぽんぽんと大貫の机の上へと積み、自分が使っていた物は自分の机へと戻していく。変わらず共同で使いそうな備品については、ひとまず近くのローテーブルへと避難させた。このまま置き場所が足りないのであれば、サイドテーブルくらいは持ち込みが許可されるかもしれない。
「…………」
片付いた机を一撫で。この席は、間の席からは中々視界に入らない場所だ。それはひどく有難いことのように思われた。
「初めまして、刈野証人と言います」
あぁ、やっぱり面影があるものだな、と間は思いながら緩く表情を作る。別段、相手に事情も何もかも告げるつもりはない。間としては、あの家ともあの村とも二度と関わりたくなどないのだし。……それに、知らないというのであれば、知らずに許されたということなのだから。どちらにしたって、目の前にいる男は間と「違う」存在に他ならないのだ。
「僕は間。宜しくね、刈野?」
血縁の業みたいな話は好きです。