それを世界は心中と称すか

 犯罪を取り締まる側でいるということは、つまり犯罪の手口に詳しくなるということだ。巧妙に隠された犯罪経路を暴くことが出来るというのは、つまり犯罪の隠し方が分かるということだ。人を死なせない方法を理解しているということは、つまり。
 ――人の殺し方を知っている、ということである。


「ん~、これも職権乱用と言えるのかもなぁ」
 ちゃぽんと揺れる瓶を眺めながら、間はぽつりと呟いた。己の職務倫理のギリギリのラインを突いて手に入れたこれは、間が今日のために準備していたものだった。
 本日は、尾北花音の一周忌である。彼女の唯一の肉親である信以が入院している関係で、法事も含めありとあらゆる手続きは全て大貫が代理で執り行っていた。間も大貫の補助というか手伝いを買って出たが、一通り必要なものは済んだため、先に戻って来ていたのだった。……大貫の自宅に。
 別段、後ろめたい方法ではない。「どうせだし、何か代わりにしとくよ」と間が告げれば、大貫があっさりと自宅の鍵を手渡しただけである。それだけの信頼が、二人の間にはあった。
(一区切りついたから、いいよね。なんて、誰にも確認したことないけど)
 大貫の友人として、隣で彼を見てきた間は、『今日』だと思ったのだ。まぁもし、大貫がそれを恨むのであれば致し方ない。己の読みがただただ下手だったというだけであるのだし。
 もう間は、大貫を取ると決めた。……それによって、刈野が遺されると分かっていて尚。
「刈野ごめんね」
 許してもらうつもりは特にないため、詮無く言葉を零しておく。下手にメモ等を残すと、刈野にも疑いが及ぶ可能性があるため、間は刈野に何も残さない。そのくらいの優しさは、最後でも示すことが出来るだろう。


 そうして間がぼんやりとしていると、部屋のインターフォンが鳴った。大貫が帰って来たらしい。間は瓶を懐にしまい込むと、インターフォンの受話器を取り、意図的に緩めの口調を作る。
「突撃隣の大貫くん!」
『いやここ私の家だし、君と隣ではないし。早く開けてくれないかな?』
「短気だなぁ。ちょっと待ってて」
『私が家主なんだが??』
 ぼやく大貫の声をスルーし、間はオートロックの解除ボタンを押すと、玄関へと向かった。そして鍵を解錠した数秒後、ドアノブが下へと回る。ギィと開けられたドアから、黒い喪服が滑り込んできたのを間は出迎えた。
「お邪魔してまーす」
「お邪魔されてます。で、どうしたんだい?」
「カツ丼大盛り。や、大盛りなのは大貫くんだけだけど」
「美味しいもの好きな割に、間はあんまり食べないな」
「君と比べないで~」
 ゆるゆると友人同士のやり取りを済ませつつ、間は鍵を施錠する……振りをして、ドアチェーンを掛けた。これで、後からはいる時もドアの隙間からどうにか出来るだろう。勝手に借りている来客用スリッパをパタパタ鳴らし、間は大貫の後を追う。
(最期がラーメンじゃないのは、ごめんね?)


 二人で夕飯を済ませ、当然のようにまだ居座る間を大貫は溜め息一つで受け入れた。大貫とて花音と付き合っていた頃ならともかく、今はもうそれを気に留める必要はないのだから。適当に付けたテレビの音声を聞き流しつつ、大貫はお茶を口にしている。今日二人揃って有休を取っているものだから、明日はどちらも出勤だから酒を控えているのだろう。そもそも、酒に弱い大貫は滅多に自宅に酒を持ち込まないのだが。
 そんな大貫の隣でスマートフォンを弄っていた間は、スマートフォンをスリープにした後、懐に入れっぱなしだった瓶をそっと手の中へと移した。そして、蓋を開けつつ呼びかける。
「大貫くん」
「ん? 何だい、間……っ!?」
 間は瓶の中身を半分ほど一気に煽ると、間の方を振り向いた大貫の首元を引き寄せ、唇を重ねた。大貫は返答のため口を開いていたものだから、間は容易く大貫の口内へと己の舌を侵入させる。
「んぅっ……、は、ざっ……! っ、」
「……っ、ん、…………、」
 多少は互いの口の端から漏れはしたものの、大部分は大貫の身体に飲み込まれていく。大貫の喉が一度嚥下のために動いたのを確認した間は、最後に一撫でするような気持ちで大貫の口内を舌でなぞった後、大貫から唇を離した。つ、と一瞬繋がった銀糸はすぐさま切れ、唾液で濡れた唇を手で乱暴に拭った大貫が、間を剣呑な目で睨み付ける。
「間、君、何を……っ!」
「――――――、」
 間はぺろりと己の唇を舐めると、小さな声で一つの固有名称を告げる。それを聞いた途端、大貫は目を見開いた。間が知っているのだから、大貫だって当然知っている。間が告げたのは、それだけ彼らの中では知名度が十分にある――毒薬の名称である。
「間、待ってくれよ、まさか……」
「意外と味は変じゃなかったね。良かった良かった」
 流石に試しに一舐めというわけにもいかなかったため、間は些か心配していたのが、杞憂だったようだ。そう感心しながら、残り半分を平然と煽ろうとしたところで、大貫の腕がそれを制止する。止められた間は、そのことに首を傾げてみせた。
「どうしたんだい、大貫くん」
 大貫の表情に浮かぶのは困惑だ。嫌悪でも怒りでもなく、ただ彼は困惑している。……そしてそれは、「間がどうして大貫を殺そうとするのか」という困惑ではない。大貫は今、完全に間の意図を読み取った上で、困惑を向けているのだ。
「間、君は……君は、一緒にいてくれるっていうのかい」
「うん、一緒にいるよ」
「一度置いていかれた私と?」
「うん。まぁ、花音さんと比べたら僕じゃ役不足だろうけど、そこは我慢してもらって」
「私を置いて逝かない?」
「大貫くんのことは、置いて逝かないよ」
 そう答えた間に対し、大貫が手のひらを間に向ける。意図を汲み取った間は、大貫の手に瓶を握らせた。受け取った大貫は、先ほどの間と同じように瓶の中身を、今度は全て口へと流し込み、そのまま間と唇を重ね合わせた。
「んっ、……っ、ぷは」
「……ん、……意外と口移しって難しいな」
「したことないんだ?」
「どんなシチュエーションだったら、花音とそんなすることになると思うんだい」
「確かに」
 間も同じように飲み込んだのを確認してから、大貫は口を離す。そのままいつものような軽口を叩いて、その場に二人して座り込んだ。あまり分かりにくいところにいても、と互いに思っていたからだった。
 胃に届いて少し経てば、ぐるりと身体を蝕むような何か。失敗しなくてよかったな、と間は思いながら隣に座り込む友人に一言だけ告げた。
「じゃーね、大貫くん」
「間、ありがとう」





 翌日、大貫・間ともに就業時刻を大幅に過ぎても出勤せず、連絡もなかったことから、同じ係に所属する刈野が二人の自宅へと様子を見に行った。
 間の自宅は無人。次いで向かった大貫の自宅は、キーチェーンのみ掛けられており、鍵はかかっていなかった。そのため、キーチェーンを切断して入った先。大貫と間は床に倒れており、後に死亡を確認された。死因は共に、毒物を摂取したことによる中毒死。近くに落ちていた容器から、二人が摂取した毒物が検出されたため、大貫か間のどちらかが持ち込んだものと思われる。部屋に争った形跡はなく、両者の部屋からは遺書も発見されていない。
 そのため、二人がどのような経緯で毒物を摂取したかは、分からないまま。『殺人の後、犯人自殺』として、二人の死は処理されたのだった。

間くんが「もう置いていかない」という方向性で情を発揮したらこうなる。