途絶を羨むか

 iDol Never diEというアイドル候補生を集めたプロジェクトにおいて、北条の所属するグループ『Voyage』は十分なファンを得ているグループに属していた。カリスマ性とパフォーマンスで圧倒するセンターの真中、歌唱力において他の追随を許さない西藤、運を味方に付ける南部の三人は成績自体も良いものだった。なお北条は、どれも平均値を超えないために中々厳しい成績を残している。そしてもう一人のメンバーである東峰は、練習でこそ丁寧なダンスの振りと綺麗な歌声が出るものの、ステージで中々それを発揮できないため、こちらも成績が伸び悩んでいる側のメンバーだった。だが、それでも『Voyage』としての活動自体は順調極まりない。
「北条くんたちのオフショット、撮るネバよ~」
「お、丁度いいし休憩にするか」
「……いや、俺はまだ」
「西藤さんさぁ、そこは休憩休憩!」
「北条さん、真中さん、タオルどうぞ」
「さんきゅ」
「ありがとう」
 レッスンルームでわいわいとじゃれ合うメンバーたちを、ネバ太は楽し気に見守っている。ドリンクを口にしつつ、「あそこのターンが」「隣の動きに気を取られて」と確認しあっている真中たちの会話を聞きながら、北条はそっと視界の端に鎮座するネバ太を見やった。
 ピンク色の小動物――具体的にどの種類とは断定しかねるフォルムなのだ――であるネバ太は、アイドル候補生たち全員に対し、平等に親切である。…………筈なのだ。


 ネバ太の退出後もレッスンは続けられたものの、南部と東峰が休憩を入れたタイミングで、北条も休憩を取ることにした。真中と西藤は、互いに負けられないと思っているのか、止める様子はない。「程々にしといてくれよ」とだけ声を掛けて、レッスンルームを後にする。そうして歩き始めて少ししたタイミング。
「北条綾人」
 冷ややかな声に、北条は僅かに滲みかけた怯えをひた隠した。
「……何かな、ネバ太」
 このアイドルプロジェクトを主宰する人物とアイドル候補生たちとの間を繋ぐ連絡役であり、マスコットを自称するネバ太。そのネバ太は、何故だか北条が一人きりの時に限り、態度が豹変するのだ。最初は自分の成績が悪いことを理由にした態度なのかと思ったのだが、それとなく探ってみた東峰からは同じような話は聞かれなかった。勿論、東峰がそれを隠してしまっている可能性はゼロではないのだが。
「真中くんと西藤くんはまだレッスンを続けているようだけど、君は?」
「僕は……一旦休憩を」
「ふぅん」
 北条以外に誰か一人でもいれば、ネバ太はそのような態度を見せないため、北条としても他のメンバーにこれを話したところで信じてもらえるのか、怪しいものだ。そう思ってしまって、北条はまだそのことを誰にも話せていない。第一、ネバ太からそうして冷ややかな反応を向けられるのが、北条の成績故であるのなら、北条は何も言うことなど出来ないのだし。じぃ、と下から見つめてくる黒々とした瞳を見返した北条は、ふと気が付いた。
(……紫?)
 ネバ太の瞳に、映り込んだ北条以外にちらちらと映り込むような紫色がある。ちかちかと瞬くように揺れるそれが北条の姿に被さるようにして、とぷん、と音を、?
「……あぁ、お前を、」
「……え?」
「…………休憩に行くんでしょ。行きなよ」
「あ、あぁ……」
 ふっと我に返った北条は、ネバ太に促されるように足早にその場を立ち去った。ちかりと瞬いた闇の中、誰かの姿が見えた気がしたのは、北条の気のせいに違いないのだから。


 ――一方、北条を見送ったネバ太の瞳が、万華鏡のようにきらきらと色を映し出す。黄、紫、青、赤、紫、黄、白、紫、紫、黄、青、赤、白、紫。端々に灯る明かりに呼応するように、ぼそりと低い声音が言葉を吐き出す。
「どうせアイツも間違えてしまうんだ、もっとちゃんと見てくれなきゃ。なんで、なんで、なんで、」
 そうして動いた口が一瞬閉じ、また口が開かれた。だが。
「あれれ、今日は思ったよりまだはっきりと『起きて』るネバね?」
 そうして動いたネバ太の口から出た声色は、先ほどとあまりに異なっている。
「本当に駄目だ、北条綾人だけは赦してはならない」
「うーん、でも一応まだオーディションを行うほどじゃないネバからねぇ」
「真中も西藤も東峰も南部も、まだ生きてるのに」
「真中くんが焦り始めるのは、もうちょっと先ネバ」
 くるくると交互に異なる声音が響くが、どちらの声音ももう一つを異常だと認識する様子はない。ネバ太は暫く、ぼそぼそと喋る声の言葉を聞いていたものの、どうにもならないと判断したのか、優しい声で己の中に溶けた存在へと呼びかけた。
「もう、寝た方がいいネバよ、『北条くん』」
「……、」
「やっぱり見た目が違ってても、気になっちゃうネバか~。人間って可愛いネバ!」
「……」
「ほんとに寝ちゃった?」
「……」
「うんうん、じゃあ次のオーディションがあるまで、サポート頑張るネバよ~!」
 もう一つの声が黙ったのを確認したネバ太は、「えいえいおー!」と腕――前足を振り上げる。

 そしてネバ太は、己の身体を毛繕いするようにぺろりと舐めると、いつものようにぽてぽてと己の待機場所へと向かったのだった。

脱落者が全てネバ太に吸収されちゃっているのは可愛い。