千の光で貫く狭間を

「……ん、美味しい」
 薔薇の花を模した盛り付けをされたアイスクリームを手に持ち、間は木陰にあるベンチでちびちびとアイスクリームを齧っていた。時刻は昼過ぎ。休日であるために人通りは多く、誰も彼もが日差しに暑さを感じて手で扇いだり、間と同じようにアイスクリームを買って食べ歩くなどしている。


 ――間が今現在いるのは、長崎。間が警察を辞めてから、既に三年が経過していた。そんな間は、警察を辞めたのならせっかくだし色々と回ってみるか、と短期の仕事と貯金で食いつなぎながら、気紛れに全国を転々としているのだった。長く暮らすつもりでなければ、アパートも仕事も諸々妥協が出来ることであるし。流石に元警察官として、あまりにも怪しいところと仕事は避けたのだが。
 スマートフォンには時折、刈野から連絡が飛んできている。随分と前に辞めた先輩に対しても存外律儀だな、と間は思いながらも、間の連絡相手は大貫が主だったため、他に連絡相手などいない身だ。迂闊に刈野に質問を送らないようにしつつ――気が緩んで情報漏洩でもしたら大変だ――メッセージに短く返事を返す程度の交流は細々と続けていた。否、稀に間からも写真くらいは送っているか。風景だったり、食べたものだったりを日記代わりに送っているようなものだ。
 一週間ほど前に長崎を訪れた間は、アパートだけ契約した後はあちこちの観光地を巡っていた。金を稼ぐために働き出せば、時間の自由が効きにくいので、大体は観光を気が向く限り続けるのが流れである。
(ん~、観光はある程度か出来たし、そろそろここでの仕事を探そうかな……)
 そんなことを考えていた折、す、と間の身体に影が差す。誰かが間の目の前に立ったのだ。それが誰なのかを間が確認するよりも早く、間にとっては非常に聞き慣れた声が、上から降ってきた。

「あいっかわらず、甘いものの開拓は上手みたいだな、間」

 間が見上げた先。そこには予想した通りの相手が立っている。服装は私服、気温に加え湿度が高いのも手伝い、額にはうっすらと汗をかいている。少し急ぎ足で駆けてきたのだろうか。表情は、傍から見れば冷静そのものに見えただろうが、間からすれば「何か思うところがあるんだろうな」と読み取れるようなそれだった。
 とはいえ、数年ぶりに会った顔に何と声を掛けたものか迷い、暫く考え込んだ後、私服なら休暇中なのだろうかと当たりを付け、間は言葉を発した。
「……大貫くん、奇遇だね?」
「私の努力を“奇遇”に押し込めていいなら、それは奇遇と言えるだろうさ?」
(声が完全にキレてる)
 だが、その間の台詞はどうやら宜しくなかったようで、即座に帰ってきた大貫の声に限りなく激情が入り交じる。アイスが熱でじわりと形を崩したのが見えたため、慌てて間はシャクリとまたアイスを口にしつつ、思考を巡らせた。
(うーん、大貫くんなんでこんなに怒ってるんだろう。元気そうで良かったけど)
 アイス自体の消化を急ぎながら、間はじぃと大貫を見上げる。数年ぶりに見た大貫の顔色は悪くないし、特別太ったわけでも痩せたわけでもない。そのことに一つ安心する。健康で居るのならば、何よりだ。というか、時間を考えると、大貫は昼食を摂っていないような気がしないでもない。会ってしまったものは仕方がないので、間が案内をするくらいは良いだろう。多分。そう結論付けた間は、コーンを全て口に放り込み飲み込んだ後、首を傾げてこう問うた。
「……あ、でもここ二郎ないんだよね。ちゃんぽんでもいい?」
「言うに事欠いて出てくるのがそれか!」





 「昼食は摂ったからいい」と断った大貫がかなり強硬に自宅への案内を要求すると、間は少しばかり考えるような様子を見せはしたものの、あっさりと大貫を自宅へと招き入れた。大貫と間が顔を合わせた場所からバスに乗って十分程のところに、今の間の自宅はあるらしい。そうして間の自宅を訪れた大貫は、間の自宅に置かれた家具などから他人の影が――もっと言えば恋人などの影が――ないことに、少しだけ胸を撫で下ろす。暫く冷蔵庫に顔を突っ込み、ガサゴソと中を漁っていた間は、最終的にカフェオレの缶を二つ持って、リビングのローテーブルへと戻ってきた。
「はい。甘いのしか買ってないんだけど、良いよね?」
「飲めなくはないから、構わないさ」
 つ、とテーブルの上を滑らされた缶を受け取り、プルタブを開ける。大貫は塩気の強いものを好むが、甘いものが苦手なわけではない。あまり食べ飲みする方でもなかっただけで。
「……」
「……」
 大貫は、缶越しにちらりと間を見やった。間は自分用に出したカフェオレには手を付けず、そのまま手の中で弄んでいる。瞬きが多いのは、思考を巡らせている時のクセである。恐らく、間は何をどうしたものか考えているのだろう。そう結論付け、大貫は間の名前を呼ぶ。
「間」
「ん? 何だい、大貫くん」
 呼びかけに視線を上げた間の瞳は、ゆらゆらと動いてはいる。そこに少なくとも嫌悪だけはないことを確認した大貫は、少し座っていた位置をずらすと、そのまま迷うことなく床に両手を付き。
「大貫くん!?」
「君にはすまないことをしたと思っている」
 綺麗に土下座をした。狼狽えたような間の声は、大貫の行動に困惑していることがありありと伝わってきた。
「待ってくれよ、なんで大貫くんが謝るのさ」
 頭を下げたままの大貫に、ガタガタと慌てたような音を立て間が近寄ってくるが、それ以上どうしたものか迷っているのか、動きはない。

「私が君に付け込んだ」
 そのままの体勢で大貫が言葉を続けると、上から僅かに息を呑む音がする。
「分かっていたよ、きちんと。あの時まで何も気が付いていなかった私が、君を詰る資格なんてないこと」
「それはっ、本当に巧妙に隠されていたんだよ……。僕だって偶然気が付いただけで」
「だったら尚更、私は君に何も言えた義理などなかった筈なんだ」
「……、まって、大貫くん。顔上げて」
 間の声に更に動揺が色濃く出たところで、ようやく大貫は顔を上げた。大貫が見上げる体勢になった間の表情は、本気で困り果てたようなものだった。その表情を見て、大貫は主導権を取れたことを確信した。

 ……間は、重要なことに限ってすぐに口にしない。大貫が言い過ぎればそれを窘め、大貫が緊張していれば気を抜かせるように茶化すくせして、自分が抱えたものも自分の考えも中々口にしない。慎重さに基づくそれは、元の気質性質でもあるし、今まで彼が培ってきた在り方に他ならない。そして、他人の意見を聞く方にまず意識が向くが故に、一度主導権を握った相手の話の流れに、乗るのだ。
「……えぇと、」
「話の続きをしようか」
 だからこそ、きちんと目的を持って仕掛けることを決めた大貫は、間の先手を取れる。
「先程も言った通り、私に君を詰る資格などない。それを言うのであれば、私だって怪しむべきであったし、何ならそのタイミングで君に花音の件を問い詰めるべきだった」
「……」
「私がその時点で信以さんの豹変の話をしていれば、君だって独自に調べていたことくらいは私に話してくれただろう? 違うかい?」
「違わない……ね」
うろり、とまた間の視線が彷徨う。今の間はおそらく、大貫の話の真意と目的を考えつつ聞いているのだろう。
「流石に、あの直後に……『君が言ってくれれば』と一欠片たりとも思わなかったと言えば、嘘になるよ」
「……うん」
「だけど、私はそれを君に告げるべきではなかったし、たとえ君が肯定したとしても私自身が否定すべきだった」
「んん、まぁ……」
 間の反応は鈍い。だが、大貫としては想定の範囲内の反応であったので、そのまま話を続ける。
「なので、君を利用したこと自体を、君の罪悪感に付け込んだことを謝りたい」
「……ただ、それは」
「君は『自分だけ何も失っていない』と思って頷いたんだろうが、君だって信以さんという先輩を失ったじゃないか」
「!」
 そうなのだ。刈野は自身が罪をかぶってでも庇おうとした尾北を、尾北は愛する妹とその子供を、大貫は恋人と恋人との間で生まれる筈だった子供を失った。だが、間だって自身の先輩である尾北を失っていることには変わりがない。たとえ違和感を抱いて調べていたとしても、その情報をギリギリまで間が出し渋ったのは、間とて尾北を信じたかったからに他ならなかったのだから。
「間、君自身も気が付いていなかったろう」
「……それは、確かに。尾北さんのことは、刈野の方がよほど慕っていたから」
「うん、それはその通りだ。まぁ、そういうことだからさ。君が過度に私に尽くす必要なんてなかったんだよ。……確かに、あの時は、それが救いになってはいたけどね」
「それを聞けたら僕としてはいいんだけど」
「良くないよ!? 良くないからな、普通に考えて気持ちの整理もついてきて、ここからどうにか君との関係を変化させようと思ってた矢先に、警察辞められた挙げ句に自宅引き払われてたから私は凹んだよ!」
「えっ……それは……ごめん?」
「あぁ~いや、君のそういうとこ分かってたのに、放っておいた私も私だが……散々思うことがあるなら言ってくれって言ったじゃないか……」
「うーん……まぁいっかなみたいな」
「間、君、そういうとこ」
 二人でそんな昔のような軽快なやり取りをしていると、間が首を傾げる。
「……うん? ところで僕との関係を変化させようっていうのは、どういう?」
「あぁ、それなんだけどね。まぁ、最初は八つ当たりみたいに君のことを抱いていたわけだが」
「…………う、うん」
(いや何でここに来て照れるんだ。期待するぞ)
 間の頬が緩く紅潮したのに、大貫は内心で頭を抱えたくなりつつ言葉を続ける。
「まぁ、その……途中からは私の方に心情の変化があって。それが今回の主題なんだけども」
「うん」
「間、君のことが、そういう意味合いで好きなんだ」
「……えっ」
 間が目を丸くする。そこから瞬き、真意を汲み取ろうとするより前に畳み掛けた。
「同情でもないし、贖罪でもない。というか、君ほど私は献身的であれないさ」
「いや、そうかな……」
「そうだよ。ともかく、私は君が好きだ。だから、こうしてわざわざ君の居るところを探して会いに来た」
「……」
「別に今すぐ想いに応えて欲しい、とかそういうわけじゃないよ。ただ、まぁ、連絡くらいは再開させて欲しいところだけど」
 大貫はそこまで告げると一旦口を閉じ、間の出方を見る。間は暫くどうしたものかと言わんばかりに視線をうろつかせた後、ちらりと大貫を見やってまたすぐに逸らした。そして、そのままぼそりと口を開く。
「……花音さんのことは、」
「うん」
「……好きだった?」
「愛してたよ」
「…………そう。そっか、それなら良かった」
 大貫の返答に対する、間の声は穏やかだ。間は一つだけ息を吐くと、自分のスマートフォンを取り出し何事か操作する。すると、大貫のスマートフォンから通知音が鳴った。慌てて大貫がスマートフォンを取り出せば、連絡アプリに通知が一つ入っている。長らく動かず下に鎮座していたトーク画面には、薔薇の花を模したアイスクリームの写真が一枚。それが間の答えだと確認した大貫は、間用に買ったスタンプをトーク画面へと返したのだった。

「……ところで、間。君、ここの前は長野にいたんじゃなかったっけ」
「ん? よく知ってるね、そうそう。おやきと信州そば食べたくて」
「…………長崎に来た理由は?」
「ちゃんぽんと角煮まんとカステラ食べたくて」
「道理で法則性の欠片もない移動をすると思ったよ!!!」
「そういえば大貫くん、仕事は?」
「自由律みたいな話題転換やめないか、君!? 有休だよ、どうせ消化も中々してなかったし、丁度タイミング良かったから」
「なるほど。いつまで?」
「明後日までだよ。明後日の夕方に、飛行機で帰るよ」
「なるほど~。……宿は?」
「まだこれから探す予定だったけど……。間、どういう意図だい?」
 ぽんぽんと間が質問してくるのに返していた大貫は、少しの沈黙の後、間に問う。問われた間は、やや不思議そうな表情のまま、こう告げた。
「大貫くん、ホテル代勿体ないから僕の家泊まっていきなよ。部屋はあるし」
「…………はぁ」
 あまりにも当然のように継続した信頼に基づいた提案をしてくるのは、大貫としては好ましくもあるが焦れったくもある。大貫は、溜息を一つついた後、無防備な間の腕を引き、くるりと床へと引き倒した上で組み敷く。何だかんだ現役警察官である大貫と、警察を離れた間では少しばかり反応速度に違いが出る。驚いたような表情で大貫を見上げてくる間に、大貫は殊更優しい声で伝えてやった。
「間、君、忘れてるかもしれないが。私は、君のことが好きだし、抱きたいんだよね?」
「……っ」
「……いや、めちゃくちゃ遅れて照れるな、君」
「……そういえばそうだったね……」
「それもっと早く気が付いてほしかった」
 間の表情を見て、ここまで振り回されたことへの怒り分くらいは取り戻せたな、と判断した大貫は、わざとらしく組み敷いた姿勢から離れると、間が起き上がるのを待った。……だが、間は起き上がる様子を見せない。流石に嫌なことを思い出させただろうか、と大貫が声を掛けようとした瞬間。小さな声がぼそりと部屋に落ちる。
「……抱かないんだ」
「君そういうとこだぞ、間!!!!」

 ――その後、結局どうしたかは別の話。

この話のMVPはなんやかんや刈野くんです。