八十四時間前

「………」
 間は、己の持つスマートフォンの通知を見て、瞳を一つ瞬かせた。通常、己からしか連絡を取り付けない相手から、珍しくも連絡が届いている。ちろり、と間は少し離れた席でここ3日ほど妙な気配を醸し出す大貫の方を見やった後、けたたましい音を立ててキャスター付きの椅子を引きずった。
「間、うるさいぞ」
「椅子に言って、大貫くん。休憩はいりま~す」
 ぺろりと軽口をやりあって、するりと部屋を抜け出すと目的地へと歩みを進めていく。


 警察署から少しばかり離れたコンビニ……の前にある公園スペース。そこに間の待ち合わせ相手は立っていた。
「尾北さん、こんにちは」
「あっ! 間さん、呼び出しちゃってすみません。こんにちは」
 間が声を掛ければ、くるりと振り向いた女性が緊張した面持ちのまま、ぺこりとお辞儀をした。間を呼び出した人物――間の先輩である尾北の妹であり、間と同期である大貫の恋人だ。
「まぁ、気分転換がてらなのでお気になさらず。ところで、何かあったんですか」
 前置きもそこそこに、間は話を切り出す。今までは、間が尾北――己の先輩の方だ――のことを怪しんでいたために、度々連絡を取っては話を聞かせてもらっていたのだが。花音の方から間に連絡を取ってくるのは珍しい。何かあれば、自身の兄でも恋人でも相談先はあるだろうに、敢えて今ここに自分が呼ばれていることが、間からすれば不思議で致し方なかった。
「実はその……少し前に千春さんと喧嘩しちゃって……」
「喧嘩?」
 その花音の台詞に「珍しいな」と間は感じる。大貫は理性的で冷静に物事を進めるクチだ。それは仕事だけでなく、プライベートでもそうは変わらないはずで。故に、花音から間が何かを受けるような事態になるとは、到底思えなかった。……ただ、そうだとすればあの大貫の様子にも納得がいく。
「私も、悪かったとは思うんですけど……。その、結構拗れちゃったというか、意固地になってしまって。それで、その、間さんに間に入っていただけないかなって」
「なるほど。喧嘩したのはいつなんです?」
「三日前で……」
 花音が告げたのは、間が大貫の異変を察知したタイミングとも噛み合う。とはいえ、大貫も気にしているようだから大丈夫、と花音を突き放すのも酷な話だ。ふむ、と考え込んだ間は「業務の関係もありますが」と前置きした上で告げた。
「じゃあ、僕からそれとなく話を振っておきますよ」
「ありがとうございます……! 出来るだけ、早めに仲直りしたくて」
「それは大事だ。大貫くんも、たまーに惚気けてくれるから、聞いてて楽しいですよ」
「そうなんですか?」
「えぇ。まぁ、あんまり喋ると僕が弄るので教えてくれないんですけど」
「ふふ」
 間が軽口を叩けば、花音は多少肩の荷が降りたのか、表情を緩める。その後、せっかくだからということで、間はいつも通り尾北の様子について尋ね、花音とは別れた。公園での十数分の会話。たまたま会った、で十二分に通せる範囲の筈だ。

 取って返す勢いでもって警察署の方へと戻っていきながら、間はぼんやりと考えを巡らせる。
(仲介……と、いったはいいものの。どう大貫くんに言おうかな~。雰囲気違うのは分かりやすいから、そこから攻めてくかな)
 休憩と言って出てきたので、途中コンビニに寄ることにした。商品の陳列棚を歩きながら、変わらず思考だけが動く。
(あ、喧嘩の原因聞き忘れちゃったな。まぁ、大貫くんが悪いんだろうし。多分。知らないけど)
 季節限定の味のポテトチップスがあるのを発見し、カゴに放り込む。後は定番の味も一袋。チョコレートはたまに摘むものがいるので補充がてら。カゴの半分程度は埋まったところでレジへと持っていき、会計を待つ。
(ご飯、とかよりは何かプレゼント贈らせるみたいなのがいいかな。大貫くん、変にフォローしようとするとジョークでシクるし)
「ありがとうございました~」
 そこそこの大きさのレジ袋を手に持った間は、今度こそ警察署へと戻るために歩き始めた。

 ……間の脳裏に、さきほど花音が零した言葉が蘇る。
『……その時の兄が、別人のように、恐ろしくて』
 数日前の尾北の様子を語るそれが、また間に違和感を募らせていく。尾北に何があるのか。それも、出来れば大貫に伝えられるだけの確証が出来ると良いのだけれど。



 ――尾北花音の遺体が見つかったと伝えられたのは、その3日後のことだった。

後から思えば、あそこがタイムリミットだったのだ、と。