机に素知らぬ雨ぞ降る

「よっ、やってる?」
「ラーメン屋みたいなノリで、ここに入ってくるのはどうかと思うよ」
「まぁまぁ、なんとかマシマシ」
「そういうとこ」
 ガサガサとビニール袋の音を盛大にさせつつ軽口を叩いて入ってきた間に、大貫が呆れた視線を向ける。それに構う様子もなく、間はまっすぐ向かったローテーブルの上にビニール袋を置くと、ちょいちょいと大貫を手招いた。
「私はまだちょっとやることが」
「エネルギー摂取は仕事において大事だよ、大貫くん?」
「…………はいはい」
 大貫は多少躊躇ったものの、タイミング良く空腹感を覚えたのも事実であったので、己の席から立ち上がる。そしてローテーブルのすぐ横に備え付けられているスツールに腰を下ろした。間が買ってきているのはパン、菓子、飲み物と適当な種類をかっさらってきた、というラインナップだった。間はこういった部分に拘りが薄いので、腹に溜まればまぁ良し程度で適当に買い込んでくるのが常だ。
「どわ……っ、ちょっと間」
「ここの椅子、背もたれないのが難点だよね」
「私の話を聞いてくれ?」
 すると大貫と背中合わせになるように座った間が大貫へと体重をかけてきたものだから、それに大貫が文句を告げる。だが、間はどこ吹く風だ。元よりそういうタイプであることは、大貫も知っているのだが。間がその体勢から動く気配がないことを悟った大貫は、一つ溜息をつくと、間が買ってきたものから適当にパンを一つ取り出した。そして包装を破ろうとした時。
「そういえば、『千春さんってジョークが下手なんですけど、あれって元からですか?』って聞かれたことあるよ」
「……、」
 ぴたり、と大貫の手が止まった。間は気に留めた様子もなく、「僕は優しいから『それが彼の唯一の欠点だと思って欲しい』って返しといたけど」と言葉を続ける。
「といっても、そんなに色々は話してないよ。目的はそっちじゃなかったし」
「……」
「お仕事中の様子は、って聞かれたこともあったから、まぁそこはちょっと盛っといたけど。格好良さを」
「……間」
「あ、非常に念の為弁明させて欲しいんだけど、本当に僕は外でしか会って話したことないし、一緒に店に連れ立ったこととかはないから」
「君、」
「というか君、どこであの下手なジョーク披露したのさ。場を和ませるのは、君、向いてないんだよ?」
「なぁ、間」
「……なんだい、大貫くん」
 ぺらぺらと口を動かしていた間は、大貫からの呼びかけに口を噤むと、ゆったりと返事をした。大貫から間の表情を窺い知ることは出来ない。
「君、何が言いたいんだい」
 一瞬の沈黙。また少し大貫の背に体重をかけた間が、ひそりと囁くように問う。
「……大貫くん、泣いた?」
「、」


 ――大貫が、恋人である花音を亡くしてから、既に二週間が経過していた。

 尾北花音の殺害と、それに伴う自分たちでの捜査。その最中に発覚した尾北信以の解離性同一性障害と、刈野の庇い立て。それら全てが慌ただしく過ぎ去った後、花音の葬儀はしめやかに営まれた。
 本来であれば、花音の兄である信以が喪主を務めるのだろうが、彼は病院への入院を余儀なくされており、不可能。二人の両親は既に鬼籍で、親族は他に不在。そういった経緯から、恋人であった大貫が喪主となる形で、実にこじんまりとした別れを告げたのだった。その式の最中、大貫が涙を見せることはなかった。それは参列した間も知っている。そしてそれから二週間、仕事に打ち込み続けた大貫の姿を見た上での、間の先程の問い掛けだった。
「……どういう意図、と聞くべきかな。私は、君に」
 声だけを聞けば、至極冷静そうな声が、間の背後から届く。ガサリとまたビニール袋が擦れる音がし、ペットボトルのキャップを捻る音がした。間は、既に手に持っていたミルクティーのペットボトルをくるくると回しつつ、言葉を向ける。
「意図、というか。うーん、僕は……ただ……そうだな」
「うん」
「今の大貫くんは、」
「……うん」
「さみしそうだよ、君は」
「……」
「って、思って」
 間がぽつりと零せば、沈黙がまた落ちる。少しの間を開けた後、間の身体がずるりと後ろへと傾いた。……大貫が先程よりも前屈みになったのだ。
「だ、って…………」
「うん」
「だって、もう、還ってこないじゃないか」
「うん」
「……あんな、あんなこと言わなければよかった」
「うん」
「分かってたよ、君がそういうところ気遣ってくれてたのも、それとは別に何か彼女に用事があったのも。私にまだ言えなかったのも」
「……うん」
「分かってて……分かってたのに。こんな、風に……」
 間はだいぶ体勢がきつくなってきていたが、天井を見つめつつ、相槌を返す。
「あれが、最期になるだなんて、思わなかったんだよ」
「……うん」
「……花音……っ、」
 ひくり、と間の背後から音が聞こえた。そして、ぱたぱたと雫の落ちる音。


「……ひっどい雨」
 間は蛍光灯がちかちかとしている天井を見上げながら、ぼそりと言葉を零した。

背中越しに聞く。