旋律を掴むまで

「……」
 おもむろに西藤が再生機器を止めると、レッスンルームに響いていた音楽がプツリと途切れる。歌っていた人物――東峰は、突然の無音に瞳を瞬かせた。西藤は、はぁ、と一つ息を吐いた後、東峰を見やる。
「東峰、お前さぁ」
 びくり、と大きく肩が跳ね、おどおどとした視線が西藤へと向けられた。
「……あ、はい、西藤さん、すみません、その……なんでしょう……? なにか、ダメ、でしたか…………?」
 その東峰の視線の彷徨い方に西藤が一瞬詰まったのを、西藤が不機嫌になったと取ったのか、東峰の表情がさらに強張る。
「西藤、さっきの東峰の歌い方で気になるところでも、あったのか?」
 そんな二人の雰囲気を見かねたのか、近くにいた北条が取り成すようにして会話へと入ってくると、東峰は目に見えてほっとしたような表情を浮かべた。そのことに、胸の中で靄が広がるような感覚を覚えつつも、西藤は「そうだよ」と肯定してから、言葉を続けた。
「さっきのとこ、一瞬間奏挟んでの歌い出し」
「……は、はい」
「お前、ちょっとメロディに気を取られてる」
「えっ、……あれ、そう、ですか……?」
「うん。だから少しテンポが遅れて、後のとこで音が合わなくなってる」
「な、なるほど……」
「そこをまず、合わせられるように直した方がいいぞ」
「分かりました……。その、すみません、ありがとうございます……」

 東峰が退室した後、北条が飲み物を飲みながらこちらの言葉を待っている気配を感じた西藤は、ぼそりと言葉を零した。
「……僕、東峰に嫌われてる?」
「というより、怖がられてるんじゃないか」
「えっ」
 勢いよく顔を上げれば、何てことのない表情のまま北条が言葉を続ける。
「東峰が一番よく見るお前の姿、真中と言い合ってる時だろう? そこの印象が強いんだろうな」
「ちょっと待ってくれ……北条、それ……やばいよな?」
「まぁ、このまま行くと。……どうする? 僕からフォローでも入れとこうか」
「いや……ひ、ひとまずは自分で頑張る……」
「そうか。無理しない程度にな」

 北条には、そう言った西藤ではあったが。
(ど、どう関わればいいんだ……ああいうタイプと)
 と、だいぶ悩むことにはなっていた。西藤に突っかかってくる真中は些か気に入らないものの、感情の表出としては分かりやすい。南部もそうだ。北条は穏やかではあるが、意見自体は基本はっきりと告げるのでこちらも分かりやすい。だが、東峰はあまり自分の意見を前面に押し出してこないからか、西藤からすれば分かりにくいタイプなのだった。
 しかも、北条の意見を参考にするのであれば、東峰は西藤のことが少し怖いということになる。西藤がいくら東峰との関係をある程度か改善したいとしても、そんな相手から頻繁に話しかけられれば東峰はさらに委縮するだろう。
「東峰」
「はっ、はい、……何でしょう」
「これ」
「……飴?」
 そう、考えた結果。西藤が選んだのは菓子の差し入れだった。西藤自身、安直だとは思ったが、食べて消費出来るものであれば東峰も困惑こそすれ、拒否はしないだろうという魂胆だ。だが、東峰の食の好みを知らないことに店に着いてから気が付いた西藤は、せめて北条にそこは聞いとくんだったと、内心で舌打ちをしつつ綺麗な色とりどりのキャンディが入った瓶を一つ買ってきて手渡したのだった。
「そう。お前、たまに……」
「? えぇと、西藤さん?」
「いや、それはいいや。これは単にお土産。南部とでも一緒に食べろよ」
「えっ、あ、はい……?」
 目当ての物だけ渡したものの、それ以上は会話を続けられる気がしなかった西藤は、さっさとその場を立ち去ってしまうことにした。南部の名前を出しておけば、まぁ、そこ二人で食べてしまうだろう。
 西藤が足早に立ち去った後、ぱちぱちと瞳を瞬かせた東峰は、渡された瓶を持ち上げ光に透かす。水色のキャンディが多く入った瓶を見て、東峰は目を細めつつ呟いた。
「……きれいだな」


 その後も、西藤は適度に理由を付けつつ東峰に菓子を渡していった。暫くして、西藤が菓子を渡すついでにレッスン中に気付いた指摘を告げるようにすると、東峰はかつてほどは委縮した様子もなく頷くようになっていた。そういったやり取りが二桁を超え、定番になった頃。その日、パウンドケーキを渡した西藤はいつも通り、すぐさま踵を返したものの。
「あ、あのっ」
「何?」
 珍しく、立ち去ろうとした西藤に対し、意を決したような表情で東峰が声を掛けてきたのだった。
「……えぇと、その……一緒に、お茶を……しませんか……?」

 談話室に慣れた様子で入り、てきぱきと用意を進める東峰と対照的に、西藤はあまり入ったことのない談話室の内装に視線を向けていた。テーブルと椅子がいくつか並ぶ談話室の壁際にはキャビネットが置かれており、棚にはポットと電子レンジが、薄いガラスをはめ込んだ扉越しにティーカップや皿の姿が確認できた。飲み物を用意したければ談話室でもでき、洗い物だけキッチンへと持って行く形なのだろう。
(へぇ、知らなかった)
 そんなことを西藤が考えている内に、東峰はティーバッグを使って紅茶を入れていたようで、ふわりと良い香りが広がり始めた。
「西藤さん、どうぞ。……あ、砂糖は入れられますか?」
「あぁ、入れようかな。東峰、ありがとう」
「いえ……どういたしまして」
 そこまでのやり取りは、そう悪くなかったものの。二人の間に沈黙が落ちる。先に沈黙を破ったのは西藤で、「食べていいよ」と先ほど渡したばかりの1切れずつ個包装になったパウンドケーキを指し示せば、東峰がぺりぺりと包装を剥がし始めた。
「……あ、西藤さんは、」
「いや、僕は……、……一個食べようかな」
 西藤としては、さして好んで食べるタイプの菓子ではなかったため断ろうとしたものの、東峰が一人だけ食べるのも気を遣うだろうと思い直し、同じように一つだけ手に取り、包装を剥がしていく。
 暫く互いに包装の擦れる音をさせながら、もそもそと齧っていると、西藤の正面から「……あの、」という東峰の声が聞こえた。
「何?」
「その、これは…………、ぼくが、いえ、……えぇと」
 うろうろと青い瞳があちらこちらに向けられているのを、西藤はじっと眺める。暫く悩んだ様子を見せた東峰は、意を決したように西藤を見つめてきた。
「西藤さんは、ぼくと……その、仲良くなりたいと、思ってもらえてる、……ということ、でしょうか……?」
 ようやく出てきた言葉がそれであることに、思わず西藤は小さく吹き出した。その西藤の反応に、東峰が目を丸くする。
「……いや、笑ってごめん。言葉にしたら、そんなもんかと思って」
「あ、あぁ……そういう……」
「せっかく同じグループになったんだし、そりゃ仲良くしたいだろ」
「そう、ですか……。……嬉しいです」
 ようやくへにゃりと気を許したような笑みが東峰から溢れたことで、西藤はほっと胸を撫で下ろす。多少胸のつかえが取れたところで口にした紅茶は、甘く美味しいものだった。

「……あ、じゃあ真中くんとは」
「あれはアイツが僕に突っかかってくるのが悪いのであって、僕は仲良くする気がないわけじゃない」
「…………なるほど」
 西藤の発言に、少々長めの沈黙の後頷いた東峰の反応は些か謎だったが、その後も二人はぽつぽつと言葉を交わし、和やかな雰囲気で談話室を出たのだった。

西藤くんと東峰くん、当初は互いに互いのこと「今まで関わったことないタイプだ」と思って、じりじり距離を取ってほしい。