iDol Never diEという企画において、候補生の入れ替わりはそれなりに激しい。残る者は残るが脱落する者は脱落していく、という熾烈な世界だ。その中で、西藤は歌唱力を武器に、幾度かのオーディションを無事に突破している側の候補生に当たっていた。
◇
「そういえば、西藤さんって部屋は動かないんですか?」
「えっ?」
ある日のレッスン休憩中、汗を拭き取っていた西藤に同じグループに配属されたメンバーが話し掛けてきた。その内容に西藤は瞳を瞬かせる。
「だって、西藤さんの部屋って、二階の一番奥でしょう? 階段近いところの部屋だって空いてるのに」
「いやだって、あそこは……」
("あそこは"?)
反射的に出た自分の言葉に、西藤は戸惑う。空き部屋なのは本当だ。かつては誰かが入室していたようで、私物が一部残されてはいるが、ここ暫くは誰もあの部屋に入っていない。
「西藤さん?」
「あぁ、いや……ほら、階段近い部屋だと、全員あの辺を通るじゃないか」
「あ~確かに、それは気が散りますもんね」
西藤の返答を訝しんだ様子もなく、メンバーもまた汗を拭いドリンクを飲み干すと、他のメンバーの元へとじゃれに行く。……彼が西藤相手には、あまりそういったじゃれ合いを掛けてこないのは、やはり西藤がこの企画で長く残る実力者ということになるからだろう。それに些かの寂しさを感じつつ、西藤はドリンクのボトルを手に取り。……数秒だけ、それに口を付けるのに躊躇った。
(……いや、何もないだろ)
西藤は緩く頭を横に振ると、ドリンクを喉へと流し込む。ドリンクの味はいつもと変わらないものだった。……飲んだ後だって、何もない。
◇
「アイスだ~! えっ、これ中身は一緒!?」
「だってさ。じゃあ、オレはこれ~」
差し入れとして、クーラーボックスごとテーブルに置かれていたアイスの色とりどりのカップから、メンバーたちが思い思いに手に取っていく。
「西藤さんもどうぞ!」
「ん、ありがとう。……、」
西藤はビビッドイエローのカップを手に取ろうとして、……止める。その色は、自分ではない。そう考え、少し奥の方に入っていたグレーのカップを手に取ると、西藤はアイスの蓋を開けた。
◇
たとえば朝。二階にいる西藤は、誰かが一階から上がってくるような予感がして、階段をぼんやりと眺めてしまう。こんな朝早くから一階の各施設を利用している者など、早々いないというのに。それに、たまにシャワールームを朝に利用したらしい誰かが上がってきても、西藤は「あぁ、違った」とそう思うのだ。誰であれば"正解"かも分からないのに。
それ以外にも、西藤が朝起きた時に自室の床に何も落ちていないことを確認して、ほっと胸を撫で下ろすこともある。部屋が散らかっているのは苦手であるから、物を床に放置したことなどないのに。
(変な夢でも見たのかな)
ましてや、ベッドの下など何もない。……何も、置いていない。
◇
とうとう空き部屋に放置された私物が、処分されることになったらしい。欲しい者がいれば、勝手に回収していいということで一階に並べられた物の中に、綺麗なグラスが五つあった。共に置かれた木箱によれば、どれも有田焼らしい。
「……勿体ない」
どれも綺麗なグラスではあったけれど、そんな綺麗なグラスをついうっかりで割ってしまったら怖いので、西藤は手を伸ばさなかった。
◇
――また、脱落者が出たらしい。
「脱落者のメンバーカラー何だったっけ?」
「赤と青だってさ」
「またメインどころって感じの色が抜けたな~」
流れてきた情報を見ながら話すメンバーたちの声を耳に入れつつ、西藤はぼんやりと己の手を見下ろす。赤、と青。それは、それは、××と××の色では。
「……?」
一瞬、何かが西藤の脳裏によぎりかけたが、すぐさま霧散する。西藤は短く息を吐き出し、気持ちを切り替えるとレッスンルームへと足を向けた。オーディションを勝ち抜くのであれば、レッスンで己を研鑽しないと。
◇
外出帰り、コンビニに入った西藤は酒類のコーナーの前で立ち止まった。西藤としては、酒は成人した直後に試しに飲んでみたものの、いまいち好めなかった記憶が色濃い。だが、今後仕事で飲酒の機会がある可能性はなくはない。その前に、もう一度挑戦くらいはした方がいいかもしれない。冷蔵ケースに並べられたパッケージを目で追いながら、次の日がオフのときでも何か試そう、と考えた時。一つのパッケージが目に止まった。
(……あ、これ、確か……好きだって言ってたな)
(…………誰が?)
バタン、と隣のケースが閉められた音で西藤は我に返る。このままでは他の客の邪魔になる、と西藤は他の飲み物が置かれたケースの方へと身体を向けた。
◇
――西藤にとって、最初のオーディションの記憶は朧気だ。
必死だったことは覚えているし、緊張や動揺が大きかったことくらいは思い出せる。だが、具体的に何がどうだった、というのは、どうしたって思い出せなかった。まぁそれも、オーディションが積み重なっていくが故に、似たようなことは忘れてしまうのかもしれなかった。
けれど、ふとした瞬間に、西藤は胸が苦しくなるのだ。当たるスポットライト、諦めたような笑い方。啜り泣き。絞り出した声。その残響だけがこだまする、あの場で。確かに西藤は何かを蹴落とした気がするのに。
◆
『西藤、明日はせっかくオフだし、どうだ? 今日の酒も僕のお勧めだよ』
『××ありがとう、じゃあお邪魔するよ』
『あれれ、西藤、確か今年こそは俺の身長超えるんじゃなかったけ~?』
『言っておくが、まだ僕も伸びる余地はあるし、お前がそこで成長止まる可能性はあるからな』
『え、じゃあオレ、西藤さんと××さんと一緒に行こうかな。××はどうする?』
『××と××二人だけは心配じゃないか? もうこれ、僕たち五人まとめてが早いんじゃ』
『西藤さん、まさか……××くんのことも、……××さんのことも、……忘れ、ちゃったんです、か?』
『……××、今、なんて?』
「だって、パフォーマンスに影響しちゃったら、無意味ネバ!」
◆
――次の日、目覚めた西藤の元に、次回オーディションの日程が発表された。
生還者は脱落者のことを忘れる世界観だったら、アイネバのえぐみが増すなと思っての話でした。