針は落ちた

 ――オーディション当日の朝、『Voyage』の最年長メンバーである北条綾人の死体が発見された。

 死亡推定時刻は、午前2時。死体発見場所は、北条の自室ベッド上。直接の死因は左胸への刺傷に伴う出血死であるが、それ以外にも身体には複数の刺し傷があった。北条の自室に血の跡は残っていなかったものの、部屋の入口付近に引きずったような血の跡が残っていたことから、別の場所で殺害された後に運ばれたものと思われる。殺害が可能なのは、同グループのメンバー四人。
「というわけで、君たちには犯人を見つけてもらうネバ! 頑張ってほしいネバ~」


「……じゃあ、昨日の行動についてでも、お互い話そうか」
 暫しの沈黙の後、残るメンバーの中で最年長になった己が引っ張らねばならないと思ったのか、西藤が口火を切る。その様を真中はじっと見つめていた。
「僕は……昨日の夕飯後、真中と言い争いをして北条に仲裁されたわけだけど。その後、真中に負けてられないなと思って、一人でボイトレに籠もってたんだ。それで、22時くらい……かな、急に眠気が襲ってきたから、部屋までどうにか戻って、気が付いたら朝だったよ」
 西藤が次に目を向けたのは東峰だ。東峰は、ダンストレーニングには行かず北条に相談に乗ってもらい、談話室で1時間ほど過ごしたこと、その後眠れなかったため、医務室で睡眠薬を貰って就寝したことを、つっかえつっかえ告げる。最後に、朝に南部を廊下で起こしたことの疑問は、次に口を開いた南部によって解消される。
「ん~夜中の1時くらいかなぁ、多分それくらいにトイレに行きたくなって、で~部屋まで戻れなくてその場で寝ちゃった……みたいな?」
(なるほど……、だからあの時の物音だったのか)
 真中は内心でそんなことを考えつつ、西藤から促されたのに応える形で口を開いた。
「じゃあ、俺だ。まぁ、さっきあいつが言った通り、夕飯後に俺から西藤に突っかかっていった。これは……あれだ、ちょっと明日の、っていうか今日のオーディションでピリピリしてたのは、ある。そこを北条に仲裁されてたのに、雰囲気悪くしたのは悪かったよ」
「本当にな」
「西藤さんってば」
「言うなぁ、お前。……まぁそれで、その後のダントレは結局南部しか来なくて。で、しょうがないから二人でトレーニングした。……終わったのが23時くらいか? そん時、疲れてたからか、めちゃくちゃ眠かったんだよな。だから、風呂後回しにすることにして、すぐ寝たんだよ」
「なるほど」
 真中の行動は、途中からは嘘だ。だが、そこまで不審な行動ではないだろう。ダンストレーニング中については南部と互いに証明が出来るし、それ以降の時間帯については、そもそも全員が個人行動を取っているのだから、アリバイも何もない。
「……ところでさぁ、今一通り聞いて俺が思ったこと言っていい?」
「なんだよ、真中」
「本当に東峰ってさぁ、北条と話した?」
「えっ……」
 真中がそう告げれば、東峰が目を見開き息を呑んだ。西藤と南部も、つられるように東峰を見つめる。
「北条に相談持ちかけて乗ってもらって、談話室で喋ってた。確かに、ダントレにもボイトレにも来てないのは事実だよな」
「確かに」
「けど、それは……本当に東峰が北条と過ごしてたって証拠には、ならないだろ」
「ぼ、ぼくは、本当に……!」
「真中は、東峰のこと疑ってんの?」
 声を震わせた東峰を庇うかのように、南部が真中へと問い掛ける。
「いや、疑うってほどまでは。ただ、北条が死んでる以上、その証明はしようがないってことを言いたかっただけ」
「……まぁ、それは否定できないな」
「……」
 西藤の相槌に、はくりと口を動かした東峰が、何も言葉を出すことなく俯く。南部は東峰を気遣うように「大丈夫だって」と東峰に声を掛けている。西藤は、真中の今の発言を精査しているような仕草。
(……まだ確定しかねてるか)

「追加情報ネバ! 北条くんの殺害に使われた包丁は、空き部屋から発見されたネバ。包丁からは北条くんの血液だけしか検出されていないネバよ。そして、昨日真中くんたちが飲んだドリンクから睡眠薬が検出されたネバ!」
「睡眠薬? ……あれって、真中がオレに『配っといて』って渡した奴じゃなかったっけ」
 ネバ太からの追加情報を聞いた南部が、訝し気な視線を真中へと向ける。だが、真中はそれについてはきちんと『理由』を用意していた。
「まぁ俺が南部に渡したのは本当だよ」
「じゃあ」
「でも、あれは俺も用意してない。用意されてるのを見つけただけだ」
「見つけただけ、ですか……?」
 暫く黙りこくっていた東峰が言葉を発したのに、肯定する。
「そう。多分、北条が用意でもしたんじゃねぇの。で、あの時は西藤と険悪な雰囲気だっただろ? 俺が渡して回るのも、西藤だけ俺から渡さないのもどうかと思って、南部に渡しといてくれって頼んだんだよ」
「そういうこと……?」
 南部は変わらず訝し気ではあったが、一旦疑いを緩めたらしかった。東峰は何事か考えているようで、指先を口元に当てている。西藤はネバ太からの追加情報を咀嚼しているのか、黙り込んでいた。ならば、と真中は口を開く。ここからは自分の独壇場だ。
「で、だ。今のネバ太の情報を踏まえると、分かることがあるよな?」
「何がだ、真中」
「俺たちが飲んだドリンクには、睡眠薬が入っていた。俺と、南部と、西藤が飲んだドリンクには、睡眠薬が入っていたってことだろ」
「……!」
「確か、ドリンクは2つだけ満タンのままだったよな。北条と東峰の分だ」
「あぁ、そういうことになるだろうな」
「ま、待ってください……。あの、真中くん、は、何が言いたいの……?」
 慌てた様子の東峰は、恐らくまだ何の理論武装も整っていない筈だった。
「俺も南部も西藤も睡眠薬のせいで急に眠気に襲われたんだとしたら、昨日、北条のことを殺せたのは……東峰だけじゃねぇの?」
「ぼくは、……ぼくも、昨日……睡眠薬を飲んだよ……?」
「それを誰が証明出来るんだ?」
「っ!」
 真中は、東峰のペースに乗るつもりなど毛頭ない。その後も発言を畳み掛け、西藤と南部の思考を誘導する。端から己の都合のいいように場を整えた真中と、唐突に信用勝負の場に乗せられた東峰では、当然ながら真中に軍配が上がり。

 ……そして、オーディション終了。
「君たちが選んだ犯人は、真犯人ではなかったネバ~!」
 ネバ太の言葉に、え、と目を見開く西藤と南部に対し、東峰が「……どうして」と小さく声を零す。それら全てを見ながら、真中は笑いだしそうになるのを必死で堪えていた。そして議論の場に靄が立ち込め、残るのはたった一人。ネバ太が無機質な瞳で、じっと真中を見つめながら静かな声で告げる。
「ね? 真中真也くん」
「……あぁ」
「落ち着いてるネバね~」
「隠蔽もある程度かしたんだから、覚悟の上だ」
「そうネバか。やっぱり、『真のアイドル』になるだけのポテンシャルを秘めてるネバね」
「戻っていいか? 流石に眠い」
「どうぞネバ~。暫くは『Voyage』としての活動は休止ネバから、ゆっくり身体を休めてほしいネバ!」

 見送るネバ太の声を背に立ち去った真中が向かったのは、寮の自室……ではなく、北条の部屋だった。既に北条の遺体は運び出されており、綺麗に整頓された部屋の中で、ベッドのシーツに寄った皺と小さく飛び散った血痕だけが、彼の生きた証を残しているようだった。
(夜中に入った時は、まともに時間なかったしな)
 真中は椅子を引くと、そこに腰かけ天井を見上げた。


 ――北条綾人という男は、けして"真中真也"を見てはくれなかった。

 グループの最年長ということもあって、全体のフォローに回っていることは多かったし、メンバー四人ともに優しかったとは思う。だが、北条が特に気にかけているのは精神の細い東峰と、ファンからシンメとして推されている西藤であるのは外から見ても明らかだった。
 そして、そうして気にかけられているからか、東峰もまた北条に懐き、彼を慕っているのは分かりやすく。西藤も、年齢こそ多少離れてはいるが互いに成人しているということもあって、気を許していたフシがある。真中に対しての吠えてくるような様子とは一変して、穏やかに過ごしている横顔は、真中も見かけていた。
 特に気にかけているのがその二人であるとはいえ、南部は南部で時折北条から世話を焼かれているのを見たことがある。……だが、真中には何もなかった。大丈夫だと思われていたのかもしれない。ただ、事実として、北条が真中のことを真っ直ぐに見てくれたことは、なかったのだ。時折、北条がこちらを眩しそうに眺めている視線は感じていた。だが、それは「Voyageの実力とカリスマあるセンター」に向ける視線であって、「真中真也」への視線ではない。
 だからこそ、真中は苛立って苛立って仕方がなかった。西藤に対する、アイドルとしての焦燥とは別に。北条に対する、恋慕と憎しみに引っ掻き回されるような心地で。自分を見もしない男を好きになるなんて馬鹿みたいだ。そう頭で分かってはいても、感情ばかりはどうにもならなかった。
 だからあの日、西藤を殺そうとした真中を北条が止めに入った時。ようやく、ようやく、北条は真中を"見た"と思ったのだ。……それなのに。
『真中はそんなことするような奴じゃないよ』
 ああ言われなければ、きっと、全部変わっていた筈だったのに。

 ギィギィと椅子を揺らしていた真中は、ふと小さな食器棚に目が行き、立ち上がった。一階にも食器棚は置いてあるが、あそこの食器は共用扱いなので、私物は別途置き場所を用意する必要があるからだ。
 食器棚の引き戸を開ければ、中にはガラスのコップに混じり、2つだけ色鮮やかなグラスが入っている。北条と西藤が、時たま酒を飲む際に使っていたグラスだ。真中も、一階の食堂横の給湯室でグラスを洗っている北条を見かけたことがあるから、知っていた。
「……?」
 その、奥。食器とは違うものが置かれていることに気が付き、真中は手を差し入れた。触れたのは木の感触。他のコップをどかしながら、引っ張り出した木箱には達筆な文字と朱印が押されている。全部で三つある木箱に、頭の隅で予感を覚えながらテーブルの上で開封する。
「…………」
 一つは赤地に白で立ち上る龍の絵柄。一つは白地に青で描かれたヒヤシンス。そして、もう一つ。海面から今にも覗こうとする金色の太陽を描いたそれ。誰が見たとしても分かるだろう。これらが、南部を、東峰を、――真中をイメージしたグラスであることは。

『酒なら、真中がちゃんと成人したら付き合ってあげるさ』
 真中の脳裏に、時折行われている西藤との呑みが羨ましくて「俺も酒飲んでみたい」と告げた真中を窘めた、北条の笑みが浮かぶ。
「……んでっ、」

 その真中の言葉に返してくれる誰かは、もう来ない。

もし真中が北条を殺害していたら、0523真中は議論誘導をかけて東峰との信用勝負をするのかな~という妄想からでした。