「……何処だ、ここ」
ある日、真中がふと目覚めると真っ暗闇の空間にいた。触れた床の感触から、少なくとも自室やレッスンルームでないことは確かだ。更に、この場所には一切光が差し込んでいないようで、ある程度か目が慣れた今になっても、真中は自身の伸ばした指の先まで視認することは叶わなかった。
「おい、どういうことだよ! 誰がこんなとこ入れた!」
何とはなしに、上を向いて叫んでみるが、少しばかり待ってみても反応はない。そもそも、物音も真中自身が立てる衣擦れの音や、呼吸音しか聞こえないほどで、真中が黙りこくってしまえば耳鳴りがしそうなほどだ。
「出せって! 誰かいないのか!?」
沈黙。真中は一つ舌打ちを零し、その場に座り込む。
「何が目的だ?」
沈黙。
「ここから出たら覚えておけよ」
沈黙。
「俺がいなくなったって知れたら、少なくともプロジェクトの奴からは探されるからな」
沈黙。
何を告げても物音一つ返ってこないと確信した真中は、そっと床に手を這わせた。
(これコンクリートか……? つーか、さっきから喋っても、音の反響が全くない……。てことは、ここは相当広い部屋ってことだよな……)
真中は、出来うる限り部屋ごとの音の反響度合いを身体に叩きこむようにしている。環境が違えば、当然アプローチも変わるからだ。場所によって通りやすい音は違う。それらをコントロール出来てこそ、真中からすればアイドルに相応しいという認識だった。
そこから考えれば、真中の今いる場所は"異質"といって差し支えなかった。窓はなくとも出入口くらいはあるだろうに、一筋たりとも明かりが差さないなどということが現代において有り得るだろうか。否、仮に有り得たとして、そこに真中を閉じ込めるメリットは何もない。……ない、筈だ。
(……せめて、壁際で凭れ掛かりたい)
そう考え、真中はゆっくりと手を這わせる形で、そろそろと部屋の探索を開始した。
「……なぁ、本当に、誰もいないのかよ」
沈黙。
「誰か」
沈黙。
「……俺が、何か、した?」
沈黙。
「……出してくれよ」
沈黙。
――結果からいうと、真中は、この空間で壁を見つけることはできなかった。
膝をついての移動は、存外身体に負担を与えるものだった。下手に立ち上がって移動したとして、この暗闇では何があるかすらマトモに視認出来ないのだ。怪我を避けるためには、致し方ない移動方法だった。
だが、そうして移動を繰り返し。時計すらない空間で、どれだけ時間が経ったかも分からない中。真中が床を這わせる手を止めた。
「……なぁ、」
沈黙。
「ほん、とに……誰も、いねぇの?」
沈黙。
「出して……」
沈黙。
「ごめんなさい、おれが、わるかったです」
沈黙。
何も答えが返ってこない空間で、真中は身体を縮こめる。今、こうして真中が触れることが出来る真中自身の身体、そして真中が"今"いる床の上にしか、空間がないかのようだった。情けないだとか、格好悪いだとか、そういった思考は既に真中の中からは零れ落ちていた。だって、それは、他者がいなければ成立しない感情だからだ。……今、誰にも見えていない真中は、独りぼっちだった。
「だして……」
沈黙。
「だしてよぉ……」
沈黙。
「ごめんなさい、」
沈黙。
「ゆるして」
沈黙。
「……いいこに、するから」
『――――』
――暗転。
瞼の裏が赤く透けるようになっていたことで、光が差し込んでいるのだと気が付いた。
「!!!!」
ガタリ、と跳ね起きた真中は、足を縺れさせながら、目の前にあるドアを勢いよく開いた。ドアの開いた先、階段のすぐ近くでは北条と西藤がバインダーを共に覗き込みながら何かを話していたようで、真中の勢いに二人揃って目を丸くしている。
「……真中?」
「顔色悪いぞ。夢見でも悪かったのか?」
「……、」
……寮だ。白く清潔に保たれた、アイドル候補生たちが過ごしやすいように、と設計された建物だ。一階では南部と東峰が何やらしているようで、途切れ途切れに東峰が何かを告げている声が聞こえてくる。真中は喉に張り付いたような感覚すらする舌をどうにか動かすと、頷いてみせた。
「そ、……みたい、だな……」
「中途半端な仮眠を取ると、そうなるよなぁ」
「……僕の残りで良ければやるよ」
西藤がスポーツドリンクが入っているボトルを手渡してきたのを受け取り、遠慮なく一気に喉へと流し込む。飲み干した後に「……洗っとく」と真中が告げれば、「それはどーも」と西藤が返した。先ほどのタイミングで話もキリが良かったのか、北条はバインダーを小脇に抱えていた。
「それにしても、さっきから南部と東峰は何をしてるんだ?」
「様子見に行ってみるか。真中はどうする?」
「俺も行く」
北条と西藤の背を追うように、真中は歩き出そうとして自室のドアを開け放ったままにしていたことを思い出した。パタンとドアを閉めつつ、ドアノブに映り込む自身の歪んだ顔を見つめる。
(…………夢、か。そうだよな、そう。そうに決まってる)
「真中、すぐ来ないと南部に全部食べられるぞ」
「は!? 待て、何の話だ!?」
階下から掛けられた西藤の言葉に、真中は慌てて階段を駆け下りた。
私はああいうプライド高く自信たっぷりの子が段々と弱っていくのが好きです。