砂上の楼閣と思い知る

「…………」
 ドッドッドッと心臓が忙しなく動いているのを、北条はありありと自覚していた。握りしめ繋いだ手から、後ろをのそのそと着いてくる男に伝わってしまいそうだ。現実には、そんなことに気を配る余裕もないのか、北条が手を引いた相手――真中は北条の動揺に気が付いた様子はない。



 ――北条が、西藤を殺害しようとする真中を発見できたのは、偶然の産物に他ならなかった。

 オーディションを翌日に控えた夕食後に起きた真中と西藤の衝突は、北条も含め所属するグループ『Voyage』に暗い影を落としていた。その後、本当であればダンスレッスンを全員で行う予定だったわけだが。北条がレッスン室に向かうよりも先に、東峰に声を掛けられた時。北条は東峰のケアを優先したのだった。
 内気で繊細さを見せる東峰からすれば、真中と西藤の衝突は北条以上に精神に支障をきたしていたのだろう。明日のオーディションまでに少しでも持ち直して欲しいとそう思い、談話室で話をしていれば、別れる頃には東峰の表情は少しばかり和らいでいたように見えた。
 だが、それから部屋に戻った後も、北条は中々眠りにつくことが出来なかった。精神が昂っていたのかもしれない。……そう、いよいよオーディションだ。今度こそは、デビューをしたい。真中と、西藤と、南部と、東峰の四人と一緒に。
 明かりを消し、ベッドの上に寝転がってはみたものの、眠気は一向に訪れない。時計の針がカチコチと鳴る音が、耳に突き刺さるようだ。
(……僕も睡眠薬を貰っておくべきだったかな)
 最近とみに減りの早かった、医務室の睡眠薬の瓶を思い浮かべながら瞼を閉じてみる。あの減り具合は、服用者が一人でないことを表していた。北条が想定していた服用者は、東峰だけだ。だが、東峰が一人であれだけの量を消費していたら、逆に彼の体調に影響が出ているだろう。だから、それ以外の三人の誰か――もしくは全員――が飲んでいるということになる。
 オーディションが終わったら、流石に服用の頻度については注意を入れよう。そう考えてまた寝返りを打ったその時。

 ガタン。

 廊下から大きな音が響いたことで、北条は跳ね起きた。ちらりと見えた時計の針が指し示すのは、一時。深夜も一時を回ったこの時間帯に、動き回る誰かがいるのか。自身のことを棚に上げ、そっと自室の扉を開き廊下を見回した北条は、西藤の部屋の扉がきっちりと閉まっていないことに気が付いた。……確か、北条が自室に戻った時には、きちんと彼の部屋の扉が閉まる音を聞いた筈だ。
「……」
 ただの閉め忘れであってほしい。そう思いながらも足音を忍ばせた北条が西藤の部屋へと忍び寄り、扉を開けた先。そこには西藤に包丁を振り下ろそうとしていた、真中の姿があった。


「ほら、真中。座って座って」
 その後、どうにか真中の凶行を止めさせ、北条は真中を彼の自室まで引っ張って来ていた。平静を装いながら真中をソファへと座らせ、握りしめていた包丁をローテーブルの上へと置かせる。真中は、ただひたすらに無言を貫いていた。何か温かい飲み物でも用意したかったが、真中の部屋を勝手に漁るわけにもいかないし、今の真中を放って自室に取りに戻るわけにもいかない。仕方なしに、真中の傍へとしゃがみ込み、その背を擦った。
「…………」
「………………」
 部屋に沈黙が落ちる。北条は真中の背に触れながらも、何を口に出したものか迷っていた。それほどまでに、北条が目撃した景色は衝撃的だった。パフォーマンスに長けカリスマ性も十二分にある、『Voyage』のセンター。そんな真中が、No.2である西藤を殺そうとしているだなんて。
(これが逆ならまだ……いや、僕は何を考えているんだ)
 とんでもないことを考えかけ、思わず北条は頭を振るう。包丁の鈍い輝きが目に焼き付いてしまったからか、あの静けさの中の殺意を見たからか、思考が引っ張られているのかもしれない。

 そうして、数分か十数分か経った頃合いだった。
「……オレは」
「うん」
 ようやく真中が口を開いた。それから、ぽつりぽつりと真中が語っていく内容を、北条は遮らないように相槌だけを返していく。だが、そうしながらも北条の内心では、衝撃が広がり続けていた。
(……気が付かなかった)
 真中が、それほどまでに西藤を意識していただなんて、露ほども。最年長だから彼らを見守っているだなんて、思い上がりだったのだ。だって、北条は何も気が付いてなどいなかった。もっと早くに相談を持ち掛けていてくれれば、こんな事態になる前にどうにか出来ていたかもしれないのに。
(――果たして、そうだろうか)

「でも、まさか北条に止められるなんてな」
 そう告げ苦笑を零した真中に、北条はフォローを入れたつもりだった。……それこそが、決定打になるなど、思いもせず。

「真中は、そんなことをするやつじゃないよ」
 すぅ、と真中の表情から感情が抜け落ちた。瞳に映るのは――失意。
「……、」
「真中、」
 北条が真中に声を掛けようとした瞬間、肩口に熱が走る。……切られたのだ。
「……んで! 北条まで!」
 包丁を再度握りしめた真中が"今"狙っているのは、北条だ。
「真中!」
 どうにか包丁を持っている方の手を掴むことには成功したが、がむしゃらに動く真中を制止しきることが出来ない。
(せめて包丁は取り上げないと……!)

「……ぁ、」
 ……そこから、静寂までは一瞬だった、ように思う。北条が我に返った時には、真中は血だまりの中で静かに事切れていた。背中に傷は見えない。真正面から刺され、そうして凶器を引き抜かれたが故に支えを失った身体が、うつぶせに倒れたのだろう。そんな光景だった。
「…………まなか、」
 自身の身体を見下ろす。服に赤い飛沫が飛び散っている。そして、手には赤くぬらぬらと濡れた包丁が握られていた。
「……僕が、ころした?」
 しん、とした部屋で零した北条の言葉に、応える者はない。ぐらり、と視界が揺れたような気がして、数歩後ずさる。目元に溜まる熱と、喉に何かが引っ掛かったような感覚。

(どうして、どうしてだ)
(この五人でデビューしたかった、それだけだ。それだけなのに)
(真中はどうして言ってくれなかったんだ)
(僕は、皆を信じていたのに)
(どこで間違ったんだ?)
(僕の独りよがりな友情だったのか、)
 ひくり、としゃくり上げた音が、自分から出ているのだと、北条は数秒して気が付いた。ずるずると身体に力が入らなくなっていき、その場に蹲る。ぱたぱたと零れる涙が服に吸い込まれていくのを見ながら、北条は自身の中でひたすらに「どうして」と繰り返し続けていた。



 北条が凶器の隠蔽や洋服の処分を終わらせた時には、時計の針は三時を示していた。
 着ていた服は、外から見えないように黒いビニール袋に詰めてゴミ袋へと放り込んだ。今から洗濯機を回せば、誰かが起きてきてしまうかもしれない。それを見られた時に、言い訳が出来る気がしなかったのだ。
 ……そして、包丁は。西藤の部屋へと放り込んだ。きっと、明日の朝目覚めた西藤は驚くだろう。見覚えのない、血まみれの包丁が部屋にあるのだ。狼狽するに違いない。
(けど、それも西藤が原因なんだ。……いや、それはおかしいか。西藤は被害者だ。真中に殺されかけただけで、あぁ、でも。その真中を、僕は殺したんだった)
 疲労感で重たい身体を引きずり、ベッドに横たわる。寝る時間はあまり、取れないだろう。きっと、朝一で誰かが騒ぐだろうから。
 つい数時間前まであれほど眠気は訪れていなかったというのに、今度は恐ろしいくらいすぐさま睡魔が襲ってきた。眠りに沈もうとする思考が、また一つ「どうして」を吐き出す。
(あの時こうして眠っていれば、あんなことは起きなかったのに)
 ――その時、代わりに起きていたであろう事態については、考えないことにした。



 そして、夜は明け。

『それじゃあ、皆には、真中真也くんを殺した犯人を見つけてほしいネバ~!』

 オーディションの幕が上がる。

深夜2時、凶行に至るまでの北条とか、後片付けや隠蔽をする北条っていいなという感情。